日本歴史地名大系 「花沢館跡」の解説 花沢館跡はなざわだてあと 北海道:檜山支庁上ノ国町上ノ国村花沢館跡[現在地名]檜山郡上ノ国町字勝山天(あま)ノ川南岸の八幡野丘陵(標高一八〇メートル前後)の北東斜面下、標高約六〇メートルの丘に立地する中世の山城跡。道南十二館の一で、国指定史跡。上国館とも称される(福山秘府)。対岸に洲崎(すざき)館跡、北西八〇〇メートルに天ノ川河口、その北に江差、熊石(くまいし)(現熊石町)に至る海岸線を望む。天ノ川河口部から洲崎館周辺の港湾機能を掌握し、対岸勢力に対抗するために築かれたともみられる。「新羅之記録」などによると、松前氏祖武田信広は若狭武田氏の出で、下北半島蠣崎(かきざき)(現青森県川内町)を経て、享徳三年(一四五四)下ノ国安東政季に従い夷島に渡り、蠣崎季繁の居館花沢(はなざわ)館に拠ったという。康正二年(一四五六)政季は秋田湊安東氏の招きにより男鹿(おが)島(現秋田県男鹿市)へ移るに際し、志苔(しのり)館(現函館市)から北西、花沢館までの間にある道南十二館を「下之国」(松前の東、函館地方)、松前、「上之国」(松前の北西、日本海側)に三分し、舎弟の茂別家政、同族安東定季と婿の蠣崎季繁に預けて守護とし、「蝦夷」の襲来に備えさせたという(「新羅之記録」は「上之国守護」を武田信広とする)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by