日本歴史地名大系 「上竹村」の解説
上竹村
かみだけむら
慶長一〇年(一六〇五)の長谷川又太郎旦那職売券借状(吉備津神社文書)に「浅口竹村三宅源左衛門」とみえる。寛永備中国絵図では岡山藩領で、高一千五五六石余。上竹の内として亀山村・道口村がみえ、その南には海が記される。正保郷帳には枝村として上記二村のほか下竹村と富村を記す。寛文一二年(一六七二)岡山藩生坂領となり(寛政重修諸家譜)、宝永八年(一七一一)の丹波守様御知行高村割帳では、上竹村の高一千六二一石余、新田として亀山村がみえ、高二九四石余。「備中村鑑」では高二千二七二石余。文政六年(一八二三)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報