下夜須城跡(読み)しもやすじようあと

日本歴史地名大系 「下夜須城跡」の解説

下夜須城跡
しもやすじようあと

[現在地名]夜須町出口 城山

夜須川下流東岸の独立した山上にあるが、頂上が三つに分れるところからしろとよばれる。現在山はほとんど雑木に覆われるが、三つの頂はいずれも畠となり、西方の二つは標高約四一メートル、互いに幅一〇メートルの堀切で隔てられ、東方にやや離れる頂は標高四四メートル、この部分にのみ土塁が残る。

城主は鎌倉初期の土豪夜須七郎行家(のち行宗)と伝える。行家は夜須庄の荘官で、同庄が石清水いわしみず八幡宮領であった縁により源氏に心を寄せたといわれる。「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)九月二五日条によると、平治の乱後長岡郡介良けら(現高知市)に流されていた源頼朝の同母弟希義は平家方の襲撃を受けたが、それを救援しようとした行家は果せず、追討を受ける身となって夜須の仏崎ほとけざきより船に乗り、一族とともに紀伊国に落ち延びた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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