日本歴史地名大系 「下大隅郡」の解説
下大隅郡
しもおおすみぐん
中世の大隅国の郡名。単に下大隅と記されることもある。郡域は現
弘安八年(一二八五)一〇月日の建部定親所領注文案(禰寝文書)に「嶋津庄官下大隅南方弁済使左近入道寂念」とみえる。元亨三年(一三二三)四月二一日の藤原時義譲状写(同文書)によると、下大隅南方
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世の大隅国の郡名。単に下大隅と記されることもある。郡域は現
弘安八年(一二八五)一〇月日の建部定親所領注文案(禰寝文書)に「嶋津庄官下大隅南方弁済使左近入道寂念」とみえる。元亨三年(一三二三)四月二一日の藤原時義譲状写(同文書)によると、下大隅南方
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