下山応助(読み)しもやまおうすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「下山応助」の意味・わかりやすい解説

下山応助
しもやまおうすけ

生没年不明。幕末~明治前期の神道(しんとう)家。教派神道御嶽(おんたけ)教の組織者。出生地には諸説があるが、幕末に江戸で油問屋を営んでいたとされる。木曽(きそ)の御嶽信仰が厚く、同志を集めて代々講を結成。維新後、各地にばらばらに存在していた各種の御嶽講を集結する必要を感じ、1873年(明治6)代々講を改組し御嶽教会を結成。1890年に、平山省斎(ひらやませいさい)(1815―1890)の組織する大成教会との合同が実現すると、教会長の職を退いた。1892年に、御嶽教が一派独立するに先だって突然行方不明となり、晩年伝記は不明である。

[井上順孝 2018年6月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「下山応助」の解説

下山応助

生年:生没年不詳
幕末明治期の神道家,御岳教の組織者。出生地は武蔵国入間郡(埼玉県),下野国(栃木県)足利郡など諸説がある。幕末に江戸で油問屋を営んでいたとされる。御岳信仰が篤く,同志を集めて代々講を結成。維新後,各地にばらばらに存在していた各種の御岳講を集結する必要を感じ,明治6(1873)年,代々講を改組し御岳教会を結成。同23年に,平山省斎の組織する大成教会との合同が実現すると,教会長の職を退いた。ところが同25年に,御岳教が一派独立するに先だって突然行方不明となり,晩年の伝記は不明。

(井上順孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下山応助」の解説

下山応助 しもやま-おうすけ

?-? 幕末-明治時代の神道家。
江戸浅草で油問屋をいとなんでいたという。熱心な木曾の御岳(おんたけ)行者で,同志をあつめ代々(よよ)講をつくる。明治6年各地の御岳講を結集し御岳教会を結成。13年平山省斎(せいさい)の大成教会と合同し,教会長をしりぞく。15年御岳教として一派独立する直前に行方不明となった。

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世界大百科事典(旧版)内の下山応助の言及

【御嶽山】より

…それ以降,覚明,普寛の系譜に属する行者達によって各地に講が結成され,全国的に普及したのである。明治期には下山応助の努力によって神道十三派の一つ御嶽教会が設立された。木曾御嶽山信仰の特色はそれを母体として新宗教が形成されたことをはじめ,山中に数万にものぼる霊神碑が立てられていること,〈御座〉をたて託宣をする習俗が顕著であることなどにある。…

※「下山応助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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