デジタル大辞泉
「御嶽教」の意味・読み・例文・類語
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みたけ‐きょう‥ケウ【御嶽教】
- 〘 名詞 〙 旧神道十三派の一つ。明治維新後、東京浅草に油業を営む御嶽行者下山応助の立教に始まる。明治一三年(一八八〇)、大成教会に加わったが、同一五年に独立。御嶽大神(国常立尊・大己貴命・少彦名命)を主神とし、江戸末期の尾張の行者覚明と武蔵の行者普寛とを開山霊神として配祀し、信州木曾御嶽に登拝して六根清浄を唱え禊祓の神道行法によって悟道に入るのを教旨とする。本部は奈良市二名町。おんたけきょう。
おんたけ‐きょう‥ケウ【御嶽教】
- 〘 名詞 〙 神道の一派。明治一五年(一八八二)、栃木県足利の下山応助などにより独立の教派となる。国常立尊、大己貴命、少彦名命を御嶽大神といい、主神とする。その他、宮中でまつる神、歴代の皇霊、天神、地祇八百万神をまつる。みたけきょう。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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御嶽教
おんたけきょう
山岳信仰を中心とする神道(しんとう)教団。旧教派神道神道十三派の一つ。近世に広まっていた木曽(きそ)の御嶽信仰を基盤とし、明治初期の宗教政策の影響を強く受けながら形成された。このとき多数の御嶽講の団結、組織化に尽力したのは下山応助(しもやまおうすけ)であったが、彼は教団結成前に行方不明となったため、平山省斎(せいさい)(1815―1890)を初代管長として1882年(明治15)9月、一時所属していた神道大成(たいせい)派より独立し、神道御嶽派と称した。同年11月神道御嶽教と改称、第二次世界大戦後は御嶽教と称する。御嶽大神(国常立尊(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと))を崇拝対象としている。第二次世界大戦後、教義がまとめられ、「御嶽教七五三(なごみ)の教え」が教典となる。長野県木曽郡木曽町に山の本部、奈良市大渕町に里の本部がある。教会数344、布教所数45、教師数1313、信者数7万1350(『宗教年鑑』平成26年版)。
[井上順孝]
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御嶽教【おんたけきょう】
〈みたけきょう〉とも。教派神道十三派の一つ。江戸時代に江戸浅草の下山応助(おうすけ)が木曾御岳山をあがめる御嶽講(おんたけこう)社を組織したのに起こる。1882年一派として公認された。御嶽大神をまつり,その神徳によって本然の性を完成することを教旨とする。本部奈良市大渕町。
→関連項目御嶽山
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