日本歴史地名大系 「下市川村」の解説
下市川村
しもいちかわむら
藩政期の支村
元和四年(一六一八)の知行目録に「弐百拾七石弐斗壱升四合 市川」「壱石八斗四升 三目沢」「弐石壱斗壱升七合 高屋敷」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図には市川村、一九五石余とあり、同年の郷村帳によれば一九五・三九六石のうち一〇七・三四五石が田である。この頃までの市川村はおもに後年の上市川村をさす呼称とみられ、雑書の慶安三年(一六五〇)八月二一日条に「八番鮭一尺六戸之内浜市川ヨリ取上」とあるように五戸川下流の集落は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報