日本歴史地名大系 「下湯川村」の解説
下湯川村
しもゆのかわむら
近世から明治三五年(一九〇二)までの村。もとは上湯川村と一村で湯川村と称したが、
シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」の「松前より下狄地所付」に「一 湯の川 小川有 家八軒」とみえる。享保二年(一七一七)の「松前蝦夷記」によると「湯ノ川沢」は鷹打場所であった。享保十二年所附では「一 鍛冶屋村 湯川尻 ゆふくら村 此所迄一里 根崎」などが記される。「松前随商録」では「シリサワベ」の小名に「ユノカワシリ」があり、「カメタ」の小名に「下ユノカワ」があげられている。天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」に下湯川村とみえ、この頃には上下に分れていた。
下湯川村
しもゆかわむら
下湯川村
しもゆかわむら
下湯川村
しもゆかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報