日本歴史地名大系 「下石井村」の解説 下石井村しもいしいむら 福島県:東白川郡矢祭町下石井村[現在地名]矢祭町下石井中石井村の南、久慈(くじ)川東岸の平地と後背丘陵に立地。水戸街道が当村南端で塙(はなわ)(現塙町)へ至る塙道と合流する。字頭屋(とうや)・仲(なか)・前(まえ)ヶ作(さく)に縄文時代の遺跡がある。中世は石井郷のうち。字若宮(わかみや)の八幡神社北東にある池は、石からの湧水によってできたといい、郷名発祥の地と伝える。応永二四年(一四一七)九月二〇日の結城満朝寄進状(八槻文書)に「石井郷内大内村内年貢銭、合五貫文」とみえ、地内大内沢(おおうちざわ)一帯に比定される大内村の年貢銭が八槻(やつき)(現棚倉町)の近津(ちかつ)大明神(現都々古別神社)へ寄進されている。正保郷帳に村名がみえ高四一〇石余、うち田一七〇石余・畑二三九石余。 下石井村しもいしいむら 兵庫県:佐用郡佐用町下石井村[現在地名]佐用町下石井美作国吉野(よしの)郡に属し、佐用郡友延(とものぶ)村の北、吉野郡中山(なかやま)村の東、佐用川上流域の谷間に位置し、両側の山地は標高四〇〇メートル前後である。江戸期の領主の変遷は中山村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方一六三石余・畠方二一五石余。柴山有、芝山有、川荒有と注記される。元禄郷帳では高五七六石余。「東作誌」では下石井村上分・同下分に分筆されており、庄屋各一名がいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by