下豊浦村(読み)しもとようらむら

日本歴史地名大系 「下豊浦村」の解説

下豊浦村
しもとようらむら

[現在地名]安土町下豊浦

安土山の西麓に位置し、北西小中しようなかの湖の一である西にしの湖、北は同じく安土あづち内湖に面する。東は南須田みなみすだ(現神崎郡能登川町)。安土山と南東きぬがさ山麓の山地以外は平地で、西の湖に通じる五反田ごたんだ川をはじめとする掘割が幾筋か流れる。東西に朝鮮人街道が走り、集落はひがし村・安土村・平井ひらい村、しも村などの垣内に分れる。古くは南東の上豊浦村と併せて豊浦といい、トヨラ、トイラともよんだ。中世豊浦庄として推移。天正四年(一五七六)織田信長による安土城築城の際、当地は城下町の中心となった。そのため城下町の名残の地割・地名や船入堀の遺溝などがみられる。

文禄二年(一五九三)の御蔵入目録(芦浦観音寺文書)に「豊浦上村下村」とみえ、合せて高二千石、豊臣秀吉直轄領。元和六年(一六二〇)仁正寺藩領となり、同藩領で幕末に至る。年代は不明であるが、各垣内の高は東村七一一石余・安土村二二九石余・下村六四二石・平井村三三八石余(江南文書)。慶安三年(一六五〇)の家数三六〇、船入二七ヵ所、七ヵ所(同文書)。元禄一三年(一七〇〇)には肥料として干鰯・藻草などを用い、農間に男は藻草取、縄・草鞋作り、女は麻苧つみなどに従事、村内に問屋一軒・商人一二軒、大工・桶屋などで四軒があった(東文書)。享保九年(一七二四)の鳥札運上帳(神田神社文書)では八郎兵衛が大鳥を猟する大札、伝十郎が小鳥札をもっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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