日本歴史地名大系 「下迫村」の解説
下迫村
しもはさまむら
弘安六年(一二八三)二月一三日儀俄泰俊が嫡男亀若に永代譲渡した所職名田畠の一部には蒲生上郡に所在した「迫名田参町壱段」が含まれている(「藤原泰俊譲状」蒲生文書)。「迫村僧□押妨事」に関する年未詳一〇月二〇日付の師祐書状(同文書)によれば、元弘二年(一三三二)以来の年貢米が度々の令旨による催促にもかかわらず領主に納入されず、さらに使者をもって改めて督促されるという事態を招いているが(年未詳一一月一四日付「左衛門尉守継奉書」同文書)、南北両朝の抗争下における庄官および在地諸勢力による庄園領主権侵害の一例といえよう。
下迫村
しもざこむら
下迫村
しもざこむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報