コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

下間頼秀 しもつま よりひで

2件 の用語解説(下間頼秀の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

下間頼秀 しもつま-よりひで

?-1538 戦国時代の僧。
本願寺の坊官。10代宗主証如(しょうにょ)の執奏役をつとめる。享禄(きょうろく)4年(1531)加賀門徒の内紛の際,弟の頼盛とともに一家衆を討つ。天文(てんぶん)元年山科本願寺を焼き打ちした細川晴元・法華宗徒とたたかう。4年晴元との和睦の過程で失脚。天文7年死去。法名は実英。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

下間頼秀
しもつまよりひで
(?―1538)

戦国時代の本願寺家宰。父は頼玄、母は伊勢(いせ)氏被官三上員光(みかみかずみつ)の女(むすめ)。法名実英、官途名筑前法橋(ちくぜんほっきょう)。下間家は、宗主家(本願寺)の家政をつかさどる家柄。頼秀は1528年(享禄1)から34年(天文3)まで一族を代表する上座となり、10代宗主証如(しょうにょ)の執奏役についた。31年弟頼盛を派遣し、証如系一門の地位確立のため加賀の蓮如(れんにょ)系一門を征伐した(大小一揆(いっき))。翌年細川晴元(はるもと)の要請により畿内一向衆(きないいっこうしゅう)を率い、畠山義宣(はたけやまよしのぶ)・三好元長(みよしもとなが)を討ったが、やがて晴元と対立、両者は激戦を続けた(天文(てんぶん)一揆)。頼秀は本願寺と晴元政権との和睦(わぼく)の過程で政治責任を問われ35年父弟とともに失脚した。[金龍 静]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

下間頼秀の関連キーワード羽田子雲本願寺派本派本願寺円如観雲慈音顕誓下間頼竜下間頼廉近松尊定蓮秀

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone