日本歴史地名大系 「与田寺」の解説 与田寺よだじ 香川県:大川郡大内町中筋村与田寺[現在地名]大内町中筋与田川の左岸、中筋(なかすじ)から水主(みずし)を経て白鳥(しろとり)町入野山(にゆうのやま)に出る道の西側にあり、山門の前に県指定天然記念物の大ムクの木がある。医王山虚空蔵院と号し、真言宗善通寺派、本尊薬師如来。古く虚空蔵(こくぞう)院とよばれたが、明治以後与田寺となる。与田寺旧記(寺蔵)によると、天平一一年(七三九)行基が草創、八町四方を境内と定め、医王山薬師寺と号し法相宗であったが、空海が入唐帰朝後来住、真言宗に改め、鎮護国家の勅願所としたという。九四の外院と院内六坊一院、七堂伽藍が甍を並べ、嵯峨天皇より二〇〇町の寺田を賜ったと伝える。また河内の誉田(こんだ)八幡宮(現大阪府羽曳野市)を勧請して鎮守とし、寺号を神宮(じんぐう)寺と改めたとも、水主神社の別当寺であったともいい、鎌倉時代には讃岐七談義所の一つになった。寺蔵の十二天像版木のうち梵天像版木に「与田郷神宮寺虚空蔵院 応永十四丁亥三月廿一日(中略)大願主増吽 同志刊聖宥」の刻銘がある。室町時代、増吽が戦乱で荒廃した当寺を中興。増吽は空海の再来といわれ、神光が虚空より母の胎内に入り誕生したといわれていたことから、後小松天皇の勅により院号を虚空蔵院と改めたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報