中之条村(読み)なかのじようむら

日本歴史地名大系 「中之条村」の解説

中之条村
なかのじようむら

[現在地名]上田市大字中之条

上田城下を流れる千曲川の対岸西寄りの村。東は御所ごしよ村、西は下之条しものじよう村、南は上田原うえだはら村、北は千曲川を隔てて諏訪部すわべ村と境をなす。

古代東山道がここで千曲川を渡り、対岸曰理わたり(現上田市常磐城三丁目のうち諏訪部集落の西方と想定)に通じていたものと考えられる。中世には小泉こいずみ庄に含まれ、戦国期に至りこの辺り一帯に勢力のあった村上氏に代わり、小県ちいさがた郡に進出した武田氏が領有、天正一〇年(一五八二)武田氏が滅亡すると、代わって真田氏の領有となった。

天正六年二月の上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)に「二之御柱小県郡小泉郷(中略)中条之郷四貫四百八十文」として、小泉郷をはじめ、中之条・下之条・小牧こまきを含むこの辺り一三郷は二之御柱の造宮料を課せられた。


中之条村
なかのじようむら

[現在地名]坂城町中之条

南は横尾よこお村・金井かない村、北は坂木さかき村で、東には大峰おおみね山を主とする山地があり、西は千曲川で限られ、坂木村との境には御堂みどう川が東から西へ流れる。

村名の初見は慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳で「中之条村 高六百弐拾六石三斗五升六合」とある。元文元年(一七三六)の村明細帳(塚田文書)によれば一千一〇五石余に増加して、この間の田畑の開発を物語る。南条・中之条用水堰は小県ちいさがた諏訪部すわべ(現上田市諏訪部)より揚水し、鼠・新地金井を経て中之条村を灌漑して千曲川に落ちる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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