中国人強制連行
戦時中の労働力不足を補うため石炭、土建など日本の業界団体は中国人労働者の「移入」を要請。日本外務省の報告書によると、強制連行の被害者は約3万9千人で、全国の炭鉱や建設現場などで労働を強いられた。過酷な環境などのため、うち6830人が死亡。1990年代に入り、被害者らが日本の政府や企業を相手に賠償を求めて相次ぎ提訴したが、最高裁は2007年4月に「日中共同声明で個人賠償請求権は放棄された」との初判断を示した。全ての請求は退けられ、日本での賠償請求の道は閉ざされた。(北京共同)
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中国人強制連行
ちゅうごくじんきょうせいれんこう
太平洋戦争中に日本国内の労働力不足を補うため,日本へ中国人を強制的に連行したこと。政府は1942年(昭和17)11月の閣議決定で強制連行を試験的に開始。44年2月28日の次官会議で「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」が決定されると,同年3月の「昭和十九年度国家動員計画需要数」に3万人の中国人労働者を計上し,本格的に連行を開始。終戦までに約3万9000人が連行されたとみられる。中国人労働者は形式上雇用契約を結んで日本に送り込まれたが,その大半は日本軍の捕虜や日本占領地域内で強制的に集められた。日本での労働条件も過酷で多数の死傷者を出し,45年6月30日には秋田県花岡鉱山で花岡事件が発生した。
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中国人強制連行
ちゅうごくじんきょうせいれんこう
太平洋戦争中の労働力不足を補うため,中国人を日本へ強制的に連行したこと
1943〜45年の間に約4万人が連行されたとみられる。過酷な労働条件の下で多くの死傷者をだし,'45年には秋田県花岡鉱山で中国人労働者が蜂起し,虐殺される花岡事件がおこった。
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中国人強制連行 (ちゅうごくじんきょうせいれんこう)
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世界大百科事典(旧版)内の中国人強制連行の言及
【強制連行】より
… 樺太に連行された約4万人の朝鮮人は取り残されたままで,75年12月には帰還請求訴訟が起こされ,77年8月には台湾住民から補償請求訴訟が起こされ,いずれものちの〈戦後補償〉裁判のさきがけとなった。 昭和天皇の死,ベルリンの壁の撤去などのあった1989年末,中国人強制連行を象徴する花岡事件の生存者・遺族が,使役企業鹿島建設に,(1)公式謝罪,(2)記念館の設置,(3)各500万円の補償を要求した。翌年,鹿島は謝罪はしたものの,結局補償は拒否,95年6月,裁判となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」