阿麻和利(読み)あまわり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿麻和利」の意味・わかりやすい解説

阿麻和利
あまわり
(?―1458)

中世沖縄の有力按司(あんじ)。史書百姓の出であると伝えるが経歴は不明の部分が多い。勝連(かつれん)按司として勝連一帯に強大な勢力を築き、中城(なかぐすく)按司護佐丸(ごさまる)と争ってこれを倒し、ついで首里(しゅり)の国王尚泰久(しょうたいきゅう)の王位をねらったが敗北して滅んだと伝えられる(1458)。近世期の正史は彼を悪臣、逆臣として描いているが、中世の「オモロ」は徳の高い畏敬(いけい)すべき存在として謡っている。彼の居城であった勝連城跡の発掘調査の結果、中国をはじめとする外国産の珍品が出土しており、往時の繁栄の一端が明らかにされた。阿麻和利の行動は、沖縄における王国形成の展開に現れた有力按司と王権との最後の摩擦として位置づけられている。

[高良倉吉]

『高良倉吉著『琉球の時代』(1980・筑摩書房)』

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関連語 筑摩書房 時代

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿麻和利」の解説

阿麻和利 あまわり

?-1458 琉球武将
つかえていた勝連城主の茂知附(もちづき)按司(あじ)を殺し,みずから城主となり,琉球王尚泰久の娘婿となる。奄美(あまみ)諸島日本との交易で莫大(ばくだい)な富をきずき,尚泰久王5年王位をねらい乱をおこすが敗死した。幼名は加那。阿摩和利ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の阿麻和利の言及

【中城[村]】より

…海岸沿いの肥沃な沖積低地と背後の丘陵地からなる。第一尚氏王統の尚泰久時代(1454‐60)に忠臣護佐丸が与勝(よかつ)半島の勝連(かつれん)城に拠る阿麻和利への抑えとして配され,北部台地上に中城城を築城ないし増築した。だが阿麻和利は逆に讒訴(ざんそ)して討手となり中城城を攻撃,護佐丸は一矢も報いず自刃した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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