日本大百科全書(ニッポニカ) 「バンダ」の意味・わかりやすい解説
バンダ(Julien Benda)
ばんだ
Julien Benda
(1867―1956)
フランスの思想家。パリ生まれ。ドレフュス事件に際してドレフュス派の論客として登場、最初ペギーの『半月手帖(はんげつてちょう)』誌Cahier de la Quinzaine(カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ)に協力した。しかし純粋な知性主義の立場にたち、それを体現すべき知識人を「聖職者」とよび、生涯にわたってそれを擁護し、その逸脱を批判し続けた。そうした思想は、ベルクソン哲学を「流動の哲学」として論難した『ベルクソニスム』(1912)、文学の古典主義からの偏向を攻撃した『ベルフェゴール』(1919)、知識人の現実問題への容喙(ようかい)を戒めて大きな反響をよんだ『聖職者の背任』La Trahison des clercs(1927)にうかがえるであろう。とはいえ、1930年代からレジスタンス期には彼自身社会参画を行っている。ほかに小説『叙任式』(1911)、評論『ビザンチウム人のフランス』(1945)、自伝三部作『聖職者の青春』(1936)、『世紀の修道士』(1938)、『世捨人の修練』(1946)などがある。
[渡辺一民 2015年6月17日]
バンダ(Hastings Kamuzu Banda)
ばんだ
Hastings Kamuzu Banda
(1906―1997)
マラウイの政治家。ニヤサランド北部カスングに生まれる。アメリカとイギリスに留学し医師の資格をとり、1942年イギリスで開業。この時期、ケニヤッタ、エンクルマらと交際し民族運動に目覚める。1953年ガーナに移り開業したが、1958年ニヤサランド・アフリカ人民会議党の招請で帰国。中央アフリカ連邦の解体と独立を主張し逮捕された。1960年選挙で会議党が勝ち、天然資源相となり、1964年の独立とともに大統領就任。親南ア路線の国家建設を進め、1971年終身大統領になる。以後30年近く独裁政治を行った。1994年、援助国の圧力で複数政党制による大統領選挙を実施し、ムルジ大統領に敗れた。独裁時代の罪で起訴されたが、最高裁で無罪となった。1997年11月、入院中のヨハネスバーグ病院で死去、91歳。
[林 晃史]