中央条約機構(読み)チュウオウジョウヤクキコウ(その他表記)Central Treaty Organization

デジタル大辞泉 「中央条約機構」の意味・読み・例文・類語

ちゅうおうじょうやく‐きこう〔チユウアウデウヤク‐〕【中央条約機構】

Central Treaty Organization》1959年に成立したイギリスイランパキスタントルコの4か国による反共軍事同盟。1979年のイラン革命により解体CENTO

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精選版 日本国語大辞典 「中央条約機構」の意味・読み・例文・類語

ちゅうおうじょうやく‐きこうチュウアウデウヤク‥【中央条約機構】

  1. ( Central Treaty Organization の訳語 ) 一九五五年のバグダード条約でトルコ・イラク・イギリス・パキスタン・イランの五か国が結成したMETO(中東条約機構)の改称。五八年、革命によりイラクが脱退して改称。七九年一〇月解体。NATO(北大西洋条約機構)、SEATO(東南アジア条約機構)とともに反共軍事同盟の一環を構成した。略称CENTO(セントー)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中央条約機構」の意味・わかりやすい解説

中央条約機構
ちゅうおうじょうやくきこう
Central Treaty Organization

略称CENTO(セントー)。1955年に成立したイラン、イラク、パキスタン、トルコ、イギリスを構成員とする地域的防衛組織。沿革的には、西のNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)と東のSEATO(シアトー)(東南アジア条約機構)を中央で連結するMETO(メトー)(中東条約機構)として、反共防衛体制の一翼を担うという構想がたてられていたが、結局、1955年、中近東分裂を象徴するバグダード条約の成立をみた。締約国は、国連憲章第51条に従い、安全保障と防衛のための協力を行う(同条約1条)。常設機関として閣僚理事会が設置される(同6条)。ところで、1956年のスエズ事件は、中近東における英仏勢力の退潮とこれにかわるアメリカの顕著な進出を促した。1959年3月にはイラクが革命によって条約機構から脱退し、本部もバグダードからアンカラに移された。名称も同年8月、中央条約機構と改称された。アメリカは、中東の三国とそれぞれ軍事協定を結び、補強を図った。しかし、アメリカ主導のCENTOも、第四次中東戦争やアラブ石油戦略の発動に至る国際政局の推移にみられるように、その存在理由を問われることになった。中東諸国の相次ぐ脱退により、その機能を停止し、1979年10月には解散した。

[森脇庸太]

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改訂新版 世界大百科事典 「中央条約機構」の意味・わかりやすい解説

中央条約機構 (ちゅうおうじょうやくきこう)
Central Treaty Organization

東西冷戦下での対ソ軍事戦略網の一つで,NATO(北大西洋条約機構),SEATO(東南アジア条約機構)の中間に位置する。略称CENTO。1959年にバグダード条約機構(中東条約機構。1955年2月締結のトルコ・イラク相互防衛条約に,11月イギリス,イランが加盟して成立)からイラクが脱退したのを機に発足。本部アンカラ。構成国はイラン,パキスタン,トルコ,イギリスで,アメリカをオブザーバーとする。79年1月のイラン革命に伴い,9月に解体した。
冷戦
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百科事典マイペディア 「中央条約機構」の意味・わかりやすい解説

中央条約機構【ちゅうおうじょうやくきこう】

Central Treaty Organizationの訳。略称(CENTO(セントー))。中東地区の防衛を目的とする反共的な地域的集団安全保障機構で,北大西洋条約機構(NATO)と東南アジア条約機構の中間に位置する。1955年英国,イラン,イラク,トルコ,パキスタンの5ヵ国が結成した中東条約機構(METO,バグダード条約機構ともいう)が前身。1959年イラクが革命の結果脱退したため改称。米国はオブザーバーとして参加,実質的な指導に当たっている。本部アンカラ。1979年のイラン革命に伴い,同年9月解体。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中央条約機構」の意味・わかりやすい解説

中央条約機構
ちゅうおうじょうやくきこう
Central Treaty Organization

略称 CENTO。イギリス,イラン,パキスタン,トルコの4ヵ国で構成した地域的防衛機構。 1955年2月にイラクとトルコが共同防衛条約を結び,これにイギリス,イラン,パキスタンが加わって同年 11月バグダード条約機構が成立した。しかし 58年にイラクで革命が起きて 59年に脱退したため CENTOと改称し,本部をバグダードからアンカラに移した。加盟国の閣僚で構成される理事会 (年1回) のほか軍事委員会などがあった。アメリカは 59年以来,トルコ,イラン,パキスタンと相互防衛協定を結び,同機構を支援していた。 79年,イランで革命が起き,イラン,トルコ,パキスタンは CENTOから脱退した。このためイギリスは CENTO解体を宣言し,アンカラの本部は閉鎖された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「中央条約機構」の解説

中央条約機構(CENTO)(ちゅうおうじょうやくきこう)
Central Treaty Organization

もとの中東条約機構(別名バグダード条約機構)。1955年トルコ,イラク,イギリス,パキスタン,イラン(アメリカはオブザーバーとして参加)の5カ国が,集団防衛を目的としてイラクのバグダードで調印した。59年イラクが革命の結果脱退したため,本部をトルコのアンカラに移し名称も中央条約機構と改めた。NATO(ナトー)SEATO(セアトー)などの反共軍事同盟の一つであったが,79年イラン,トルコが脱退し消滅した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「中央条約機構」の解説

中央条約機構
ちゅうおうじょうやくきこう
Central Treaty Organization

1959年8月に成立したイギリス・イラン・パキスタン・トルコの4か国からなる軍事同盟。略称CENTO (セントー)
1955年バグダード条約機構(METO)に加盟したイラク・トルコ・イギリス・パキスタン・イランの5か国で発足したが,1958年イラクは革命により脱退したので,翌年本部をバグダードからトルコの首都アンカラに移し,中央条約機構と改称。北大西洋条約機構(NATO)・東南アジア条約機構(SEATO)とともに対ソ包囲体制の一環をなしたが,1960年代後半からは重要性が減少し,イラン革命後の79年解体した。

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世界大百科事典(旧版)内の中央条約機構の言及

【RCD】より

…中東・南アジアの3国の地域開発協力機構Regional Co‐operation for Developmentの略称。1955年に締結された地域軍事ブロックのCENTO(中央条約機構)が東西冷戦緩和にともなって経済協力関係を発展させようと,65年RCDを結成した。イラン,パキスタン,トルコの3国が加盟し,本部はテヘランに置かれる。…

※「中央条約機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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