中尊寺境内(読み)ちゅうそんじけいだい

国指定史跡ガイド 「中尊寺境内」の解説

ちゅうそんじけいだい【中尊寺境内】


岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町平泉にある奥州藤原氏三代ゆかりの寺。慈覚大師円仁の創建と伝えるが、11世紀末、陸奥・出羽両国における支配権をしだいに確立した藤原清衡(きよひら)が、本拠を平泉の地に移し、中尊寺の造立に着手した。1126年(大治1)にほぼ完成、落慶供養を行った。清衡没後も2代基衡(もとひら)、3代秀衡(ひでひら)の手によって造営が続けられた。しかし1189年(文治5)、4代泰衡(やすひら)が源頼朝に討たれてのち、中尊寺は保護者を失い、また1337年(建武4)、野火のため一山のほとんどが焼け、わずかに金色堂(こんじきどう)と経蔵の一部が焼け残っただけとなった。1959年(昭和34)から約10年間、平泉遺跡調査会による山内各地の発掘調査が行われ、さらに1976年(昭和51)からも岩手県教育委員会の発掘調査が行われた結果、金色堂南東方の低地には、中島をもつ大池があり、大池の西方には古経蔵などがあったこと、金色堂の北方、現在の弁天池一帯には三重池があり、池の西方で金堂跡と思われる建物が検出され、現在の大長寿院の北東方には二階大堂があり、その西方にも建物があったことなどが明らかになった。1979年(昭和54)、古代末期における奥州藤原氏の東北地方の経営を考えるうえで大きな意味をもつ中尊寺とその境内は、寺の瓦を造ったと考えられる瓦窯跡(鈴沢瓦窯跡)もふくめて国の特別史跡に指定された。中尊寺は、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた国宝の金色堂、重要文化財の経蔵をはじめ文化財を多く有し、2011年(平成23)に「平泉―仏国土浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして世界遺産に登録された。JR東北本線平泉駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報