朝日日本歴史人物事典 「中山琴主」の解説
中山琴主
生年:享和3.5.15(1803.7.3)
江戸後期・明治期の八雲琴(二弦琴)の創始者。医師の子として伊予(愛媛県)に生まれる。幼名元徳。14歳で京都に上る。武術と医術を志したが,音楽の重要性を悟り,菊岡検校に入門。文政3(1820)年出雲(島根県)の天日隅宮(出雲大社)に参籠し,医術と武術の事を祈ったが,霊感により二弦の琴と秘曲を授けられた。その琴をはじめは「出雲琴」と名付けたが,のちに「八雲琴」と改めた。また,その胴の材料ははじめは竹であったが,同じころ厳島神社で霊感を得て二弦琴の竹琴を創作した葛原勾当と京都で会い,協議の結果桐胴に竹を模して節を彫ることとした。曲は古淡,歌詞は記紀歌謡その他で俗調を離れ,作法や服飾にも神事風を意識した復古主義。著書『八雲琴譜』は,初版では中山と葛原の二弦琴共作の事情や葛原の署名を載せているのに,その後段階的に葛原関係を削除している。<参考文献>近藤儀兵衛『新撰八雲琴譜』上下
(吉川英史)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報