中村明石(読み)ナカムラ アカシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中村明石」の解説

中村 明石(5代目)
ナカムラ アカシ


職業
歌舞伎俳優

別名
俳名=鶴童

屋号
舞鶴屋

生年月日
明治6年 4月9日

出生地
東京・浅草猿若

経歴
13代目中村勘三郎の子に生まれ、父について修業。明治15年再興した猿若座が焼失したので新富座を借り受け、猿若座14代目の座主となり「川中島東都錦画」を興行した。16年東京本所寿座の座本となり女芝居を興行。17年東京の猿若座で初舞台を踏む。画家を志し一時引退するが再び俳優に復帰し、22年江戸開市三百年祭の余興に、33年明治座で再び、中村勘五郎と舞踊「猿若」を勤め、40年名題となる。この間、28年父が没し、42年父の碑を建てるため明治座で「猿若」を演じた。のち大阪の中村鴈治郎一座に加わったが、その後舞台を引き、大正8年帝国劇場「猿若」の舞台が最後になった。中村家系15代目となったが、名跡の中村勘三郎を継ぐに至らず、娘の勝子が中村家系16代目を継いだ。

没年月日
昭和15年 (1940年)

家族
父=中村 勘三郎(13代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「中村明石」の解説

中村 明石(5代目)
ナカムラ アカシ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治6年4月9日(1873年)

没年
昭和15(1940)年

出生地
東京・浅草猿若町

別名
俳名=鶴童

屋号
舞鶴屋

経歴
13代目中村勘三郎の子に生まれ、父について修業。明治15年再興した猿若座が焼失したので新富座を借り受け、猿若座14代目の座主となり「川中島東都錦画」を興行した。16年東京本所寿座の座本となり女芝居を興行。17年東京の猿若座で初舞台を踏む。画家を志し一時引退するが再び役者に復帰し、22年江戸開市三百年祭の余興に、33年明治座で再び、中村勘五郎と舞踊「猿若」を勤め、40年名題となる。この間、28年父が没し、42年父の碑を建てるため明治座で「猿若」を演じた。のち大阪の中村鴈治郎一座に加わったが、その後舞台を引き、大正8年帝国劇場「猿若」の舞台が最後になった。中村家系15代目となったが、名跡の中村勘三郎を継ぐに至らず、娘の勝子が中村家系16代目を継いだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村明石」の解説

中村明石(5代) なかむら-あかし

1873-1940 明治-大正時代歌舞伎役者
明治6年4月9日生まれ。13代中村勘三郎の子。明治17年東京の猿若座で初舞台をふむ。一時引退するが復帰し,40年名題。42年父の碑をたてるため明治座で「猿若」を演じた。のち大阪の中村鴈治郎(がんじろう)一座にくわわったが,大正8年の舞台が最後となった。昭和15年死去。68歳。東京出身。俳名は鶴童。屋号は舞鶴屋。

中村明石(初代) なかむら-あかし

中村勘三郎(なかむら-かんざぶろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村明石」の解説

中村 明石(5代目) (なかむら あかし)

生年月日:1873年4月9日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中村明石の言及

【中村勘三郎】より

…中村家内部の書以外によれば,1651年江戸城に参入して歌舞伎を演じた記録が,初世に関する記述のもっとも早いものである。(2)2世(1647‐74∥正保4‐延宝2) 1657年禁裏で《新発意太鼓》を演じ,中村明石の名をたまわったという。この伝承も示す通り,2世は若衆方を兼ね,特に拍子事が得意であった。…

※「中村明石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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