日本大百科全書(ニッポニカ) 「中条(新潟県の地名)」の意味・わかりやすい解説
中条(新潟県の地名)
なかじょう
新潟県北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)の胎内(たいない)扇状面にあった旧町名(中条町(まち))。現在は胎内市の北西部を占める地域。旧中条町は1889年(明治22)町制施行。1956年(昭和31)乙(きのと)村、1967年築地(ついじ)村を合併、扇状地面全域が町域となった。2005年(平成17)北蒲原郡黒川(くろかわ)村と合併し市制施行、胎内市となる。JR羽越本線(うえつほんせん)と国道7号、113号、345号が通じる。中世は奥山庄(おくやまのしょう)の豪族三浦・和田一族(後の中条氏)の領有で、荘園(しょうえん)開発が進み、「奥山庄波月条(なみつきのじょう)絵図」(国指定重要文化財)などの貴重な中世史料も残る。近世は街道宿場町として六斎市(ろくさいいち)でにぎわい、第二次世界大戦前は荒川早場米の集散地として栄えた。1960年には砂丘裏に中条、紫雲寺(しうんじ)ガス田の開発が進み、豊富な天然ガスを原料とするガス化学コンビナート建設が進捗(しんちょく)して、県北の一大化学工業都市に発展した。クラレ、JX日鉱日石開発、日立製作所などの工場があり、年間368億円(1995)の化学工業出荷額をあげている。乙宝寺(おっぽうじ)三重塔(国の重要文化財)、鳥坂(とさか)城跡、地本(じもと)のミズバショウ群落などの名所・旧跡があり、荒川神社の奉納模型和船および船絵馬は国の重要有形民俗文化財となっている。
[山崎久雄]