乙宝寺(読み)おつぽうじ

日本歴史地名大系 「乙宝寺」の解説

乙宝寺
おつぽうじ

[現在地名]中条町乙

日本海に沿う標高一六メートルの砂丘上にある。如意山と号し新義真言宗智山派本尊大日如来。寺伝では天平八年(七三六)婆羅門行基により開かれたという。「法華験記」下には猿の願により法華経を書写した「三島郡の乙寺」の持経者の話がみえ、四〇余年後越後国司として下向した紀躬高朝臣は猿の生れ変りであったという。この三島郡きのと寺は当寺のこととされるが、郡名が異なるため確定できない。「今昔物語集」にも同様の猿供養の話を載せるが、寺名を「三嶋ノ郡国寺」とする。貞和三年(一三四七)八月日の奥書のある「越後国乙宝寺縁起」は一名を「乙寺縁起」としており、縁起が成立したと推定される室町時代前期には当寺が乙寺とも称されていた。享徳三年(一四五四)四月二八日の中条秀叟(房資)記録(三浦和田中条氏文書)によれば応永三一年(一四二四)黒川基実の館が攻略された際、「乙宝寺之舎利」が伊達氏の軍勢により奪い取られ、房資はこの重宝を竹内空範律師と相談して二〇貫で買い請けて「乙寺」へ寄進したとある。

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百科事典マイペディア 「乙宝寺」の意味・わかりやすい解説

乙宝寺【おっぽうじ】

新潟県胎内(たいない)市にある新義真言宗智山派の寺。本尊大日如来。行基(ぎょうき)開創と伝え,《法華験記》に猿の願により三島郡の乙寺の持経者が法華経を書写したとの話は当寺のこととされる。室町前期まで乙(きのと)寺とも称した。三重塔重要文化財

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デジタル大辞泉プラス 「乙宝寺」の解説

乙宝(おっぽう)寺

新潟県胎内市、日本海を望む砂丘地にある寺院。真言宗智山派。山号は如意山。天平年間、行基・婆羅門による開創と伝わる。本尊は大日如来・阿弥陀如来薬師如来三尊。三重塔は国の重要文化財指定

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