中東和平会議(読み)チュウトウワヘイカイギ

デジタル大辞泉 「中東和平会議」の意味・読み・例文・類語

ちゅうとう‐わへいかいぎ〔‐ワヘイクワイギ〕【中東和平会議】

米国主導で始まったパレスチナ問題解決のための会議。1991年10月、スペインマドリードで開かれ、イスラエルシリアヨルダンレバノン・パレスチナの各代表が参加。1993年に行われた個別交渉で、イスラエルとPLOは相互承認を行い、パレスチナ人の暫定自治について合意した。→オスロ合意

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中東和平会議」の意味・わかりやすい解説

中東和平会議
ちゅうとうわへいかいぎ

湾岸戦争アメリカが主導して,1991年 10月スペインのマドリードで開催されたパレスチナ問題解決のための会議。アメリカ,ロシアが主催した全体会議と,実質的な問題を扱う関係当事国による二国間直接交渉からなる。イスラエル,シリア,レバノン,ヨルダン・パレスチナ合同代表団が参加した。パレスチナ代表団にはイスラエル占領地外のパレスチナ人は含まれなかった。会議は,エジプト以外のアラブ諸国が初めてイスラエルとの直接交渉にのぞんだ点で画期的なものとなった。当時イスラエルはリクード政権下にあり,交渉の進展は思わしくなかったが,92年の選挙で和平推進派のイスラエル労働党が政権をとり,93年9月には難題となっていたパレスチナ人の自治に関し,イスラエル,パレスチナの間で正式にパレスチナ暫定自治協定が成立した (→パレスチナ分割 ) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「中東和平会議」の解説

中東和平会議(マドリード会議)(ちゅうとうわへいかいぎ(マドリードかいぎ))
Madrid Peace Conference

冷戦終結および湾岸戦争の結果を受け,1991年10月にスペインの首都マドリードで開催された中東和平に関する国際会議。米ソを共同議長国として,はじめてイスラエル,パレスチナ,シリアなどすべての関係国・地域が同じテーブルについた。2国間交渉および多国間交渉という現行の和平プロセスの枠組みをつくり,93年以降のオスロ合意(暫定自治合意)など一連の和平合意の出発点となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「中東和平会議」の解説

中東和平会議
ちゅうとうわへいかいぎ
Middle-East Peace Conference

1991年10月にマドリードで開催された,中東問題解決のための会議
イギリスとフランスが撤退した後,米ソ両大国が中東を舞台勢力を競い,アメリカがイスラエルを,ソ連がアラブ諸国を支援してきた。この会議は,米ソ両国,イスラエル,アラブ諸国とパレスチナ解放機構(PLO)が初めて一堂に集まる平和会議となった。

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