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中臣金 なかとみの かね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中臣金 なかとみの-かね

?-672 飛鳥(あすか)時代の官吏。
藤原鎌足(かまたり)の従兄弟(いとこ)。天智(てんじ)天皇に重用され右大臣となる。壬申(じんしん)の乱では近江(おうみ)朝の軍をひきいてたたかったが,大海人皇子(おおあまのおうじ)(のちの天武天皇)の軍に敗れ,天武天皇元年8月25日殺された。名は「くがね」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中臣金

没年:天武1.8.25(672.9.22)
生年:生年不詳
7世紀後半に近江朝廷に仕えた官人。糠手子の子。鎌足の従兄弟。天智9(670)年山御井(伝承地は大津市の三井寺金堂の傍)の傍で諸神に幣帛を捧げたとき,中臣として祝詞を宣べた。同10年大友皇子太政大臣に就任すると,右大臣に任じられ,天智天皇が病に臥した際には,内裏の織仏像の前で大友皇子を支え,近江朝廷を守る旨を誓盟した。これより先,天智天皇の弟大海人皇子(のちの天武天皇)が出家して吉野(奈良県吉野町)に入るのを,【G7EDF道/うじ】(宇治市)に見送ったが,壬申の乱(672)で,大海人皇子が勝利を収めると,金は浅井の田根(滋賀県浅井町)において斬殺され,その子らは配流に処せられた。「中臣氏延喜本系」によると,金の子孫は絶えたとあり,一門が近江朝廷と運命をともにした。

(森公章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なかとみのくがね【中臣金】

?‐672(天武1)
天智朝の右大臣。藤原鎌足の従弟,すなわち鎌足の叔父の中臣糠手子(ぬかてこ)の子。鎌足の没後(669),中臣氏の長老として朝廷の祭祀を担当し,671年(天智10)正月には太政大臣大友皇子,左大臣蘇我赤兄(そがのあかえ)に次ぐ右大臣に任命され,その冬,天智天皇重態の際には他の重臣とともに大友推戴を誓う。しかし翌年夏の壬申の乱で大友が敗死すると,赤兄らは流刑で済んだが,金のみは浅井の田根(滋賀県長浜市の北郊)で斬られ,子は流刑となった。

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