出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1931年から37年にかけて、中国共産党が指導し、江西省瑞金(ずいきん)に「首都」を置いた国家。中国語では中華蘇維埃(スーウエイアイ)共和国臨時政府と称する。1929年、井岡山(せいこうざん)を出た毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)らは瑞金を中心に新たに根拠地を開き、31年11月中華ソビエト第一次全国代表大会を開催、中華ソビエト共和国憲法、土地法などを決定、ソビエト臨時政府を組織し、毛沢東が主席となった。これに対し国民党政府は30年末から33年2月にかけて4回にわたる包囲討伐を行ったがすべて敗退した。ところが当時、中国共産党指導部内に毛沢東に反対する極左路線があったため、33年夏からの第5回包囲討伐を支えられず、34年瑞金を放棄して長征に出発せざるをえなかった。したがって、形式的には37年の第二次国共合作のときまでこの共和国は続いたが、実質的には34年で幕を閉じたといえる。
[安藤彦太郎]
…情勢重大とみた蔣介石は30年末から34年までに5回にわたる包囲討伐作戦をおこなった。紅軍は毛沢東の巧みな作戦で4度まで国民党軍の攻勢を撃退し,31年11月には瑞金を首都に中華ソビエト共和国を樹立した。紅軍の兵力も最高30万に達した。…
…毛沢東,朱徳にひきいられた紅軍は,軍閥支配力の脆弱(ぜいじやく)な江西省の辺境,井岡山にのぼって遊撃戦を展開,農村の革命根拠地でもって反革命の都市を包囲する道を歩みはじめた。土地革命によって貧農の支持を得たこの革命路線は成功し,蔣介石の包囲討伐を何度もはねかえして31年11月には瑞金(ずいきん)を首都とする中華ソビエト共和国を樹立するまでになった(土地革命戦争)。 このころ,日本の侵略は新たな段階に入り,亡国の危機が迫っていたにもかかわらず,蔣介石は日本に譲歩しつつ共産党の絶滅をはかった。…
…中華人民共和国の国軍。1927年8月1日賀竜,周恩来,朱徳らによって南昌蜂起を起こしたのを機に中国労農紅軍が成立し,井岡山を根拠地とした毛沢東・朱徳の第4軍を中心に発展し,31年には江西省瑞金(ずいきん)を首都に中華ソビエト共和国を樹立したが,蔣介石軍の5次にわたる包囲作戦によって,根拠地を放棄〈二万五千里の長征〉に出,35年秋陝西省北部に新たな根拠地を定めた。 37年7月蘆溝橋事件が起こり日中戦争が始まると第2次国共合作が実現し,紅軍は国民革命軍第八路軍,新編第四軍に改編された。…
※「中華ソビエト共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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