丹波敬三(読み)たんばけいぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹波敬三」の意味・わかりやすい解説

丹波敬三
たんばけいぞう
(1854―1927)

薬学者。薬学博士。神戸生まれ。父は蘭方医(らんぽうい)。11歳のとき、紀州(和歌山県)の蘭方医華岡鷺洲(はなおかろしゅう)に入門、16歳で上京した。1878年(明治11)東京大学製薬学科第1回卒業生となり、1880年、同窓生らとともに日本薬学会を創立母校助教授となり、1884年自費でドイツに留学、エルランゲン大学教授ヒルゲルAlbert Hilger(1839―1905)に師事、衛生・裁判化学を学んで学位を取得し、ベルリン衛生局に勤務した。1887年帝国大学薬学科初代教授となり、衛生・裁判化学講座を創設した。1899年制定の薬学博士第二号。衛生知識の普及を図って全国衛生技術者会議を結成し、衛生試験法の作成、清酒防腐剤サリチル酸利用の制定などのほか、第一次世界大戦下の薬品不足に対しては製薬工業の興隆に尽力した。東京帝国大学名誉教授、日本薬局方主査委員、日本薬学会副会頭、日本薬剤師会会長などを歴任著書に『化学工業全書』(共著・1895)ほかがある。

[根本曽代子]


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20世紀日本人名事典 「丹波敬三」の解説

丹波 敬三
タンバ ケイゾウ

明治・大正期の薬学者 東京帝大名誉教授;東京薬学専門学校長



生年
嘉永7年1月28日(1854年)

没年
昭和2(1927)年10月19日

出生地
摂津国神戸(兵庫県)

学歴〔年〕
東京大学医学部製薬学科〔明治11年〕卒

学位〔年〕
薬学博士

経歴
蘭方医・元礼の3男として生まれ、明治13年東京大学医学部助教授・陸軍薬剤官となる。17年ドイツのエアランゲン大学に自費留学、ヒルゲン教授に衛生学、裁判化学を学び、さらにストラスブール大学のシュードベルヒ教授の下で薬物化学を修める。20年帰国し、東京帝国大学教授となる。37年欧米視察に赴き帰国後、日本薬局方調査委員、薬剤師試験委員なども務め、日本の薬学教育に尽力した。大正7年停年後は東京薬学専門学校校長に就任。著書に「裁判化学」「有機化学」「無機化学」「化学工業全書」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹波敬三」の解説

丹波敬三 たんば-けいぞう

1854-1927 明治-大正時代の薬学者。
嘉永(かえい)7年1月28日生まれ。ドイツ留学後,明治20年帝国大学教授となる。大正6年東京薬専(現東京薬大)校長。日本薬局方調査委員,薬剤師試験委員などを歴任した。昭和2年10月19日死去。74歳。摂津神戸出身。東京大学卒。著作に「裁判化学」など。

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