乙方村
おちかたむら
[現在地名]宇治市宇治〈
乙方・
紅斎・
東内・
又振・
山田・
山本〉
宇治川の右岸、仏徳山の西側に位置し、東は志津川村、北は三室村に接する。西および南方は川を隔てて久世郡宇治郷に対していた。村域東部には離宮山(現仏徳山)・朝日山に連なる低丘陵が展開するが、西部は平坦で、南北に奈良街道が通じ宇治橋東詰に至る。しばしば「彼方村」とも記され、宇治橋東詰には式内社彼方神社がある。
宇治橋東詰から北に延びる奈良街道沿いに中心集落が形成され、宇治離宮社(現宇治・宇治上両神社)の付近に散在する民家が支村とされていた。この支村はしばしば馬場村という名で史料にみえるが、行政的に独立した村ではなかった。その位置は字又振・山田にあたる。しかし近世前期にこれら宇治川右岸の村は、すでに宇治川左岸を中心に展開する宇治郷に組み入れられ、乙方町と称して宇治郷の各町と軌を一にしていた。例えば承応三年(一六五四)の所司代板倉重宗による切支丹禁制の触状に、また各町の総代が連署して作成した請書にも、乙方町・馬場村総代の署名は宇治郷の中に含まれている。
乙方村
おつかたむら
[現在地名]南知多町豊丘 乙方
東・南・西は山に囲まれ、北は知多湾と矢梨村(現美浜町)、西は切山村(現美浜町)に接する。民家は東浦街道沿いにある。「寛文覚書」によれば、概高一九四石余、田地二二町八反一畝、畑地二二町六反三畝余、戸数三五、人口二七一。将軍上洛・朝鮮使節通行の時人馬を出すとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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