精選版 日本国語大辞典 「乙由」の意味・読み・例文・類語 おつゆうオツイウ【乙由】 江戸中期の俳人。中川氏。別号麦林舎。伊勢国船江の富商。岩田涼菟(りょうと)に学び、伊勢風俳諧を全国的にひろめた。晩年、蕉門に入る。句集に「麦林集」など。延宝三~元文四年(一六七五‐一七三九) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「乙由」の意味・わかりやすい解説 乙由 (おつゆう)生没年:1675-1739(延宝3-元文4) 江戸前期の俳人。中川氏。別号は麦林舎。伊勢の人。材木商,のち神宮の御師。俳諧は初め支考に学び,のち涼菟(りようと)に従う。1698年,《伊勢新百韻》を朱反と共編し,1704年刊の《三疋猿》でも活躍する。涼菟没後は〈伊勢風〉の中心となるが,その一派は,平俗な作風の近似する支考の〈美濃派〉と共に,〈支麦(しばく)の徒〉と呼ばれた。〈花さかぬ身をすぼめたる柳かな〉(《麦林集》)。執筆者:岡本 勝 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「乙由」の意味・わかりやすい解説 乙由おつゆう(1675―1739) 江戸中期の俳人。中川氏。通称喜右衛門。別号麦林舎(ばくりんしゃ)。伊勢(いせ)国(三重県)川崎の生まれ。材木商、のち神宮の御師(おし)となり、慶徳図書(ずしょ)と称す。芭蕉(ばしょう)晩年の門人であるが、俳諧(はいかい)はおもに伊勢派の祖岩田涼菟(りょうと)に学び、師の没後は伊勢俳壇の中心となり、平俗軽妙、しかも理知を含んだ俗耳に入りやすい作風(麦林風)によって、その勢力を北陸筋をはじめ広く拡張していった。後世、一派の俳風は、支考(しこう)の美濃(みの)風とあわせて、支麦調などとそしられることもあった。 うき草や今朝はあちらの岸に咲く[堀切 實] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by