中川乙由(読み)ナカガワオツユウ

デジタル大辞泉 「中川乙由」の意味・読み・例文・類語

なかがわ‐おつゆう〔なかがはオツイウ〕【中川乙由】

[1675~1739]江戸中期俳人伊勢の人。通称、喜右衛門。別号麦林舎・梅我。岩田涼菟いわたりょうと師事伊勢派中心人物平俗軽妙な作風で知られた。編著「麦林集」「伊勢新百韻」など。

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関連語 各務 支考

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中川乙由」の意味・わかりやすい解説

中川乙由
なかがわおつゆう

[生]延宝3(1675).伊勢
[没]元文4(1739).8.18. 伊勢
江戸時代中期の俳人。通称,喜右衛門。別号,梅我,麦林舎 (麦林) 。材木商ののち御師 (おし) となり慶徳図書と称した。初め蕉門,のち岩田凉菟に師事。伊勢派の中心人物となり,後年,俗調をもって,美濃派各務 (かがみ) 支考とともに「支麦の徒」とそしられた。編著『伊勢新百韻』 (1698) ,『麦林集』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川乙由」の解説

中川乙由 なかがわ-おつゆう

1675-1739 江戸時代前期-中期の俳人。
延宝3年生まれ。材木商ののち伊勢神宮の御師(おんし)。岩田涼菟(りょうと)の門人として伊勢風俳諧(はいかい)をひろめた。各務支考(かがみ-しこう)としたしく,松尾芭蕉(ばしょう)の晩年弟子ともいわれる。元文4年8月18日死去。65歳。伊勢(三重県)出身。名は宗勝。通称は利右衛門。別号に梅我,麦林舎。家集に「麦林集」など。
格言など】浮草今朝はあちらの岸に咲く(「麦林集」)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中川乙由」の意味・わかりやすい解説

中川乙由
なかがわおつゆう

乙由

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