美濃派(読み)ミノハ

デジタル大辞泉 「美濃派」の意味・読み・例文・類語

みの‐は【濃派】

蕉門各務支考かがみしこう美濃に興した俳諧一派俳風は平俗浅薄であったが、地方に大きな勢力を築いた。獅子門ししもん美濃風美濃流

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精選版 日本国語大辞典 「美濃派」の意味・読み・例文・類語

みの‐は【美濃派】

  1. 〘 名詞 〙 俳諧流派の一つ。松尾芭蕉門人各務支考(かがみしこう)美濃国(岐阜県)に起こした蕉門の一流派。美濃国を中心として伊勢国(三重県)・尾張国(愛知県)・三河国(同)・遠江国(静岡県)・駿河国(同)から北越・出羽方面にまで広範囲に行なわれた。俗談・平話を旨とし、俳諧を広く大衆に浸透させ、幕末明治に至るまで強い影響力を及ぼした。美濃流。獅子門

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百科事典マイペディア 「美濃派」の意味・わかりやすい解説

美濃派【みのは】

俳諧流派。芭蕉門人の支考が美濃国に本拠を置いて始めた流派で,〈獅子門〉とも称する。支考は行脚によって中京北陸・中国地方に門人を獲得し,廬元坊里紅ら後継者がさらに勢力を拡大した。平俗な作風特色とし,麦林舎乙由(おつゆう)らが起こした〈伊勢派〉とともに〈田舎蕉門〉〈支麦(しばく)の徒〉と蔑称されもした。道統宗匠が統率する組織形態は分裂・合同の歴史を経つつも今日まで継承されている。
→関連項目伊勢派蝶夢千代女天明俳諧也有

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「美濃派」の意味・わかりやすい解説

美濃派
みのは

俳諧(はいかい)流派。蕉門(しょうもん)俳人支考(しこう)が開いた俳諧の一派で、獅子(しし)門ともいう。芭蕉(ばしょう)晩年の門人であった支考は、郷里美濃を本拠とし、北は三越(越前(えちぜん)・越中(えっちゅう)・越後(えちご))地方から南は九州方面まで、広範囲にわたって自派の勢力を拡張し、乙由(おつゆう)の伊勢(いせ)派とともに地方俳壇を支配した。支考没後も、その道統は、廬元坊里紅(ろげんぼうりこう)、五竹坊琴左(ごちくぼうきんさ)に受け継がれ、その後1780年(安永9)に再和(さいわ)派、以哉(いさい)派の両派に分裂したが、両派とも芭蕉を1世、支考を2世と数えて、1958年(昭和33)の合流を経て、今日まで続いている。美濃派の俳風は、芭蕉晩年の「軽み」の風をさらに平俗にしたもので、軽い教訓性をも含んでいて、一般民衆に大いに迎えられるところであったが、後年、乙由の麦林(ばくりん)風(伊勢派)とあわせて支麦の徒、田舎(いなか)蕉門などとそしられるようにもなった。

[堀切 實]

『各務虎雄著『支考と美濃派の伝統』(『東海の俳諧史』所収・1969・泰文堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「美濃派」の意味・わかりやすい解説

美濃派 (みのは)

江戸時代の俳諧流派。芭蕉門の各務(かがみ)支考一派の称。その称は,支考の生国とおもな勢力圏が美濃であったことによる。俗談平話を唱え,平俗な俳風をよしとしたので,俳諧を広く普及させたが,質的低下をもまねいた。岩田涼菟,麦林舎乙由の伊勢派と俳風が近似するところから,他派からは両派一括して田舎蕉門・支麦の徒と呼ばれた。道統は廬元坊,五竹坊と受け継がれたが,その後は再和派と以哉派に分裂した。
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世界大百科事典(旧版)内の美濃派の言及

【支考】より

…美濃山県郡北野(現,岐阜市)に生まれ,幼時仏門(禅宗)に入るがのち還俗,1690年(元禄3)近江で芭蕉に入門した。俳論書《葛の松原》を上梓し,《続猿蓑》の編集に協力したが,芭蕉没後は追善の事業や,九州,中国をはじめ数次の北陸への行脚等を通して,俳壇形成や俳諧の理論的普及につとめ,美濃派の俳諧の確立に力を尽くした。1711年(正徳1)にはみずから終焉記を作って世間の評価をうかがい,その後は門人蓮二房,白狂等の名で著述し,自己の業績を称揚したりした。…

※「美濃派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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