九反田
くたんだ
[現在地名]高知市九反田・中の島
下町南東部にあり、西は横堀を挟んで弘岡町・朝倉町、南は鏡川、北西は堀川を挟んで菜園場町で東は下知村に築かれた城下の外堤の突端で、三角形状をなす。この一帯は湿地が多く、田地がわずか九反ほどしかなかったために名付けられたといわれる。住宅は少なく、菜園場町との間の大鋸屋橋付近に多少あったのみという。大鋸屋橋の名は、南詰に藩の作事方の一つ大鋸屋方役所があったことによるという。この橋は、江戸の文人で五代藩主山内豊房に召抱えられた斎藤唱水の元禄一六年(一七〇三)の日記(「高知市沿革略志」所引)に「山内豊房公海辺に出給ひしに、大船かゝりに新しく架せる橋の両岸に、松と竹との見えければ、ちとせ橋と名付べきよし仰候」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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