九品寺村
くほんじむら
[現在地名]熊本市九品寺一―六丁目・大江本町・大江四―五丁目・新屋敷一丁目
白川左岸に位置し、東は本村、西は本庄村である。現高を記す慶長八年(一六〇三)の検地帳では田はなく、畑五八町三反六畝余・分米三八六石六斗余、居屋敷一町九反九畝・分米一五石九斗余で、家数四五、男三五(うち年寄五・倅四)、女三四(うち年寄五・娘三)、牛一七・馬三とある。
九品寺村
くほんじむら
[現在地名]安佐北区可部町城
福王寺山の東麓に位置し、東境を南原川が南流する。対岸は上町屋村と下町屋村であるが、下町屋村は川の西側の河原(地蔵河原)までを村域としている。北は綾谷村・南原村、南は水落村である。もと下南原村と称したが、慶長六年(一六〇一)の検地の時に、村内の地蔵堂の寺号にちなんで村民が九品寺村と答えたことから、この村名を得たと伝える(郡中国郡志)。「芸藩通志」は当村を南原筋に入れ、中世には南原郷に含まれていたことも考えられるが、明徳四年(一三九三)三月二九日付の武田信在安堵状写(福王寺文書)は「可部庄九品寺事」と記し、可部庄内としている。
九品寺村
くほんじむら
[現在地名]海南市九品寺
貴志川南岸から宝年寺山にかけての斜面を村域とするが、集落・耕地は河岸低地に展開する。那賀郡に属し、北は貴志川を挟んで溝口村・椋木村、西は木津村、東は新村に接する。村名は村内にある浄土宗九品寺に由来する。古くは石清水八幡宮領野上庄に含まれ、野上七村のうち南村に属した(続風土記)。慶長検地高目録によると村高二八四石余、小物成二斗四升二合。野上組に属し、「続風土記」は家数三一、人数一五七、神社として弁才天社を記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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