九条頼嗣(読み)くじょうよりつぐ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

九条頼嗣
くじょうよりつぐ

[生]延応1(1239).11.21. 鎌倉
[没]康元1(1256).9.25. 京都
鎌倉幕府5代将軍 (在職 1244~52) 。頼経の子。母は藤原親能の娘。宝治合戦のあと,建長3 (51) 年に起った僧了行らの幕府転覆の陰謀事件に前将軍九条頼経がからんでいるという理由で,北条氏九条家と絶縁し,皇族将軍を実現しようとして頼嗣を解任し,京都に送還した。

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デジタル大辞泉の解説

くじょう‐よりつぐ〔クデウ‐〕【九条頼嗣】

[1239~1256]鎌倉幕府第5代将軍。在職、1244~1252。第2代摂家将軍。頼経の長男。父隠退のあと、執権北条経時に擁立されて将軍となったが、職を廃されたのち不遇のうちに没した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

九条頼嗣 くじょう-よりつぐ

1239-1256 鎌倉幕府5代将軍。在職1244-52。
延応元年11月21日生まれ。九条頼経(よりつね)の子。寛元2年6歳で父の跡をつぎ将軍となる。建長3年僧了行(りょうぎょう)の幕府への謀反(むほん)事件に父頼経の関与がうたがわれ,翌年将軍職をうばわれた。建長8年9月25日京都で不遇のうちに死去。18歳。

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世界大百科事典内の九条頼嗣の言及

【摂家将軍】より

…鎌倉中期,摂関家出身の将軍で,九条頼経・頼嗣父子を指し,藤原将軍ともいわれる。1219年(承久1)将軍源実朝が暗殺されて後,左大臣九条道家の子の三寅が,源頼朝の遠縁にあたるという理由で,将軍として鎌倉に迎えられた。三寅は当時2歳であり,頼朝の後家の北条政子が政務を行ったが,25年(嘉禄1)政子の死後,三寅は元服して頼経と称し,翌年,正式に征夷大将軍に任命された。44年(寛元2)子の頼嗣に将軍職を譲って後も頼経は隠然たる勢力を持ち,46年北条時頼が執権となると,北条一門の名越光時が頼経に接近し,執権の地位を奪おうとする事件がおこり,頼経は京都に追放された(宮騒動)。…

【藤原頼嗣】より

…鎌倉幕府の第5代将軍。将軍藤原頼経の子。1244年(寛元2)父の譲りにより将軍となる。46年父頼経は陰謀に関係して京都に追われ,祖父の前摂政九条道家も失脚した。51年(建長3)僧了行の幕府転覆の陰謀に九条家が関係しているとの嫌疑が生まれ,翌年後嵯峨上皇の皇子宗尊親王が将軍として鎌倉に下り,頼嗣は京都に追われた。こうして摂家(せつけ)将軍は終わり,親王将軍が登場した。【上横手 雅敬】…

※「九条頼嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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