亀井村(読み)かめいむら

日本歴史地名大系 「亀井村」の解説

亀井村
かめいむら

[現在地名]八尾市亀井町一―四丁目・南亀井みなみかめい町一―三丁目・北亀井きたかめい町一―三丁目・跡部本あとべほん町一―四丁目・跡部南あとべみなみの町一丁目・太子堂たいしどう二丁目・同五丁目・神武じんむ町・亀井など

太子堂村の西、奈良街道に沿い、村の南西を平野川が流れる。河内の平野部にあたり、弥生―古墳時代の亀井遺跡がある。地元では「かんめ」という。地名西大寺の叡尊の「感身学正記」文永五年(一二六八)八月条に、四天王寺(現天王寺区)からの帰途を記して「其後至河内国亀井、講十重禁戒」とみえ、次いで同月二八日には近くの釈迦堂で六五〇人に菩薩戒を授けている。弘安五年(一二八二)一〇月二七日にも釈迦堂で供養したことがみえる。また金沢文庫蔵「野金口決鈔」の識語に「于時正慶元年七月三日、於河州渋河郡亀井村寿長寺御堂東廊終書写畢」と村名がみえ、明徳二年(一三九一)九月二八日の西大寺末寺帳(極楽寺文書)には「東亀井 千光寺」が載る。応永元年(一三九四)のちの河内守護畠山満家は当地に真観しんかん寺を創建した。明応二年(一四九三)には畠山政長・尚順と畠山基家との間に正覚寺合戦があった。


亀井村
かめいむら

[現在地名]熊本市清水しみず町亀井・清水亀井町・清水東しみずひがし町・八景水谷はけのみや二―三丁目

南流する坪井つぼい川左岸に沿い、川を挟んで高平下たかひらしも村、東は立田たつだ山山麓に位置する万石まんごく村・麻生田あそうだ村に接する。一四世紀半ば頃の相良定頼并一族等所領注文(相良家文書)に「鹿子木東庄内弘生又三郎跡亀井田地五町」とみえ、当地にあった田五町は弘生又三郎の所領であったが、一色範氏によって没収され、相良氏の一族である山田左衛門次郎に与えられた。文明九年(一四七七)二月二九日早岐和政は幸松丸の「亀齢椿算武運長(久)」のため、当地の田地一段を藤崎ふじさき宮神主の三郎丸蔵人大夫能興に寄進した(「早岐和政願文」藤崎八幡宮文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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