亀津(読み)かむいじあつかい

日本歴史地名大系 「亀津」の解説

亀津
かむいじあつかい

近世、しぎや間切のうちに置かれた行政区分。所属した村は六ヵ村であるが、うち四ヵ村は間切の南部にあり、一ヵ村は同じ間切内の井之川いのーを挟んで北にある。これらは現徳之島町域であるが、面縄うんのー間切の北西部にも一ヵ村(崎原村)があり、現伊仙いせん町に含まれる。元禄三年(一六九〇)および享保元年(一七一六)亀津与人が鹿児島への上国を命じられている。天保九年(一八三八)の亀津の人数五千二九人。同一一年亀津の与人である勇喜応は鹿児島の慶事のため渡海している。嘉永二年(一八四九)に亀津黍横目の美能富らが亀津大瀬おおせ川の土手修造を行っているが、同四年の溜池や新道の造成もまた亀津黍横目らが私財を投じて行ったものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「亀津」の意味・わかりやすい解説

亀津
かめつ

鹿児島県南部,徳之島町の旧町域。奄美群島徳之島南東に位置する。1942年町制施行。1958年東天城村と合体して徳之島町となる。徳之島町の中心地区。江戸時代は代官所所在地。その後,徳之島支庁,または大島郡役所の出張所所在地となり,島の政治,文化などの中心地として発展。近くに島の海の玄関である亀徳港がある。多量の黒砂糖を積み出し,奄美群島各島と鹿児島,那覇を結ぶ主航路の寄港地

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世界大百科事典(旧版)内の亀津の言及

【徳之島[町]】より

…下層の段丘上または段丘崖下に沿って集落がある。薩摩藩時代に代官所が置かれた中心集落の亀津,その北に鹿児島からの船が発着する亀徳,さらに北方にかつてかやぶき屋根の民家が軒を並べて特異な景観をみせていた母間(ぼま)などの集落があり,島を一周する道路で結ばれている。亜熱帯性気候を生かした農業を営み,サトウキビが農産物生産額の50%(1982)を占める。…

※「亀津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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