亀浦村(読み)かめうらむら

日本歴史地名大系 「亀浦村」の解説

亀浦村
かめうらむら

[現在地名]西彼町亀浦郷かめうらごう風早郷かざはやごう

中山なかやま村の東に位置し、東部は海に臨む。大明寺だいみようじ川の支流中山川が流れ、南東風早郷がある。南西にみね岳、東にだん岳がある。寛永元年(一六二四)地内の小干こぼし浦に住むキリシタンのトマス四郎五郎左衛門(七二歳)と息子のドミンゴ与介(三七歳)が潜伏中の宣教師を宿泊させていたとして捕縛され、斬首刑に処されている(銅板スペイン語銘文)。同一六年キリシタン詮索の肝煎・問屋への申渡しがあり、「かざはへ」では九郎介、「こほしノ浦」では清蔵が署名している(「切支丹法度書」大村見聞集)。明暦三年(一六五七)の大村領内の郡崩れでは風早隠谷や上岳かみだけ隠谷・中山隠谷・落合おちあい原などに潜伏していたキリシタンが露見したという。江戸時代は大村領の内海うちめに属する。「大村郷村記」に大串おおくし村のうち亀浦村と記され、また亀浦郷・風早郷に分れるとある。


亀浦村
かめうらむら

[現在地名]牛深市二浦ふたうら

早浦はやうら村の西にあり、平地の大半は近世以降の干拓地。慶長国絵図に村名がみえ正保郷帳に高二六〇石七斗余とある。万治二年(一六五九)石高半減により一六六石余となった(天草風土考)。元禄一四年(一七〇一)の肥後国絵図変地帳(県立図書館蔵)古絵図(正保国絵図)亀野浦かめのうら村を亀浦村に直すとある。久玉組に属し、庄屋は倉田家。「国志草稿」には「亀ノ浦村」と記され、竈数二四・男女数二一五、「当村ノ内姫河内ト云ル小村アリ、船ツキ遠干」とある。文政(一八一八―三〇)頃は高二二七石六斗余(うち新田畑六一石六斗)、家数一三二・人数七〇八。


亀浦村
かめのうらむら

[現在地名]太良町大字大浦おおうら亀之浦かめのうら

亀の浦川下流にあり、現太良町の南東、東は大浦港をもつ有明海である。慶長絵図に「亀浦 浜ノ内」とある。文化八年(一八一一)の請役所達帳および万延元年(一八六〇)改の郷村帳によると亀浦村は大浦村に含まれ、藩政時代は諫早いさはや邑に属す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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