二条斉敬
にじょうなりゆき
        
              
                        [生]文化13(1816).9. 京都
[没]1878.12.5. 京都?
江戸時代末期の公卿。左大臣斉信の次男。文政7 (1824) 年元服,文久2 (62) 年 12月左大臣,関白,氏長者 (うじのちょうじゃ) に補任され,慶応3 (67) 年1月には年少の明治天皇の摂政となった。関白としては終始公武合体論を唱え,王政復古に際して摂政の職を解かれたが,明治維新後は大宮御用掛などをつとめ,明治4 (71) 年隠居。没後従一位を追贈された。
                                                          
     
    
        
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
	
    
  
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                    二条斉敬 にじょう-なりゆき
        
              
                        1816-1878 江戸時代後期の公卿(くぎょう)。
文化13年9月12日生まれ。二条斉信(なりのぶ)の子。安政の大獄に連座して一時謹慎を命じられたが,文久2年右大臣,国事御用掛,翌年関白となる。従一位。孝明天皇を補佐して公武合体の推進,尊攘派(そんじょうは)勢力の追放,条約勅許・長州処分問題などの処理にあたる。王政復古後,朝廷への出仕を停止された。明治11年12月5日死去。63歳。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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		世界大百科事典(旧版)内の二条斉敬の言及
    		
      【二条家】より
        
          
      …藤原氏北家の嫡流。五摂家の一つ。九条道家の次男良実を始祖とし,家号は良実の殿第に由来するが,二条の坊名にちなんで銅駝(どうだ)の称もある。承久の乱後,時の権臣西園寺公経の女婿九条道家は,みずから摂政・関白に就任したばかりでなく,教実,良実,実経の3子を次々に摂関の座につけ,[九条家]の全盛を謳歌した。ところが1246年(寛元4)の名越氏,翌年の三浦氏の乱に関連して,道家および摂政実経が失脚するや,道家はこれを前関白良実の幕府に対する誣告(ぶこく)によるものと推断し,良実を義絶した。…
      
     
         ※「二条斉敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 
        
    出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
	
    
  
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