朝日日本歴史人物事典 「二階堂行綱」の解説
二階堂行綱
生年:建保5(1217)
鎌倉幕府の政所執事。二階堂行盛の子。仁治3(1242)年,検非違使六位尉。寛元1(1243)年大夫尉。同年,将軍家臨時御出供奉人結番に加えられる。同3年伊勢守。建長1(1249)年引付衆。同3年,将軍藤原頼嗣の祖母を弔問する使節として上洛。康元1(1256)年出家して法名を行願。正元1(1259)年には,武藤景頼と共に幕府の使節として上洛。文永1(1264)年4月,評定衆。同年12月,長井時秀と共に,天王寺別当職をめぐって対立する延暦寺と園城寺を調停する使節として上洛。文永6年,二階堂行実の卒去をうけて,政所執事となる。
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報