日本歴史地名大系 「五十谷村」の解説 五十谷村ごじゆうだにむら 石川県:石川郡鳥越村五十谷村[現在地名]鳥越村五十谷柳原(やなぎはら)村の西、大日(だいにち)川の支流堂(どう)川上流部に位置する。集落は急峻な峡谷左岸にある。正保郷帳に五拾谷村とみえ高一二九石余、田方四町七反余・畑方二町八反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一二九石、免三ツ二歩八厘、小物成は山役一九二匁・油役四五匁(三箇国高物成帳)。弘化三年(一八四六)の軽海郷品々帳(石倉文書)によると、文化元年(一八〇四)から天保九年(一八三八)にかけて三度の手上高計一一石を加えられ、高一四〇石、免二ツ二歩八厘、百姓数二五。当村から山々の間をぬって南の阿手(あて)村に至る道の途中に笠取(かさとり)峠があり、同村を経て越前国に入り、白山麓十八ヶ村の一つ小原(おはら)村(現小松市)に達する。 五十谷村いかだにむら 福井県:小浜市五十谷村[現在地名]小浜市中井(なかい) 上中井北東は飛川(ひがわ)村、西南は滝谷(たきだに)村、西北は山越をして飯盛(はんせい)村黒駒(くろこま)に至る。主集落は南(みなみ)川左岸で、右岸にも家並がある。中世には名田(なた)庄に属し、建保三年(一二一五)頃には須恵野(すえの)村の一名として存在したらしい。地名は正和三年(一三一四)正月一九日付僧経乗譲状案(大徳寺文書)に須恵野村四名の一として「伊加谷名」とみえる。室町期には守護被官寺井氏の本貫地であった(若狭郡県志)。 五十谷村いかだんむら 富山県:氷見市五十谷村[現在地名]氷見市五十谷東と北は白川(しらがわ)村、西は角間(かくま)村、村の南部を東流する宇波(うなみ)川の支流五十谷川上流部の山間の村で、西隣の角間村とともに地滑り地帯に位置する。正保郷帳では高三九石余、田方三反・畑方二町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高四五石・免四ツ五歩、小物成は山役二七匁・蝋役一匁(三箇国高物成帳)。明暦二年(一六五六)の加納組高覚帳(円仏家文書)では百姓五。寛保二年(一七四二)の百姓三(「高免等書上帳」折橋家文書)。天保四年(一八三三)の家数六(「家数調理帳」同文書)。 五十谷村いさだにむら 福井県:三方郡美浜町五十谷村[現在地名]美浜町五十谷耳(みみ)川の右岸、御岳(おたけ)山の西側に立地。北は安江(やすえ)村。「若狭郡県志」には「伊佐谷村 属耳庄、或作五十谷村」と記す。安江村・寄戸(よりと)村と合わせて小三(こさん)ヶ村と総称される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by