日本歴史地名大系 「五所村」の解説 五所村ごしよむら 千葉県:市原市五所村[現在地名]市原市五所・旭五所(あさひごしよ)・東五所(ひがしごしよ)・西五所(にしごしよ)・白金町(しろがねちよう)八幡(やわた)村の南西に位置し、房総往還が通る。北西部は江戸湾に臨む。御所とも。真里谷(まりやつ)城(現木更津市)の武田信勝は空然(足利義明)を飯香岡(いいがおか)八幡宮の別当霊応(りようおう)寺を仮寓として迎え、八正院公方と称していたが、当地に新館を造営し八幡御所とした。永正七年(一五一〇)還俗した義明は同一四年小弓(おゆみ)城(現千葉市中央区)の原氏を攻略、同城に入り小弓公方を称したという。天文七年(一五三八)国府台合戦で北条氏に討たれ、首は下総古河に運ばれるが、遺体はひそかに自害した夫人とともに八幡に葬られたと伝える。 五所村ごしよむら 青森県:中津軽郡相馬村五所村[現在地名]相馬村五所北と西は岩木川を隔てて如来瀬(によらいせ)村(現岩木町)に対し、東は黒滝(くろたき)村、南は水木在家(みずきざいけ)村に隣接する。正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳に鼻和(はなわ)郡の新田として村名がみえ、村高は一一九・一八石である。天和年間(一六八一―八四)の書上帳(相馬村史)によれば家数一三、うち九軒は本村屋敷で他の四軒は支村屋敷、ほかに地子の新田に九軒あって、いずれも本村屋敷とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報