井上秀天(読み)イノウエ シュウテン

20世紀日本人名事典 「井上秀天」の解説

井上 秀天
イノウエ シュウテン

明治〜昭和期の東洋思想研究家,社会運動家



生年
明治13(1880)年3月21日

没年
昭和20(1945)年3月17日

出生地
鳥取県久米郡国坂村(現・東伯郡北条町)

出身地
鳥取県東伯郡北条村大字田坂

学歴〔年〕
哲学館卒,コロンボ大学,スマンガラ大学

経歴
哲学館(現・東洋大学)でインド哲学を学んだ後、セイロン(現・スリランカ)に渡り、コロンボ大学やスマンガラ大学で原始仏教を研究した。のち台湾に移住して曹洞宗布教子弟の教育に従事し、神科大学で東洋宗教を講じた。明治37年日露戦争が勃発すると第11師団付の布教師兼通訳官として従軍するが、肺結核に罹って帰国。以後死ぬまで神戸に住んだ。この頃、「万朝報」の幸徳秋水堺利彦が唱えた非戦論共鳴。やがて幸徳や森近運平ら社会主義者と交流するようになり、39年神戸平民倶楽部に入会。同年夏には同志とはかって雑誌赤旗」の創刊を画策するなど盛んに活動するが、43年大逆事件に連座して取り調べを受け、起訴は免れたものの以後は常に官憲の監視下に置かれた。その後は外国人のための日本語教師を務める傍ら東洋思想の研究や著述・翻訳に従事。また「新仏教」や「現代通報」などの雑誌に寄稿し、社会批判や非戦論を唱えた。太平洋戦争前は神戸のイギリス領事館で秘書官を務めるが、16年12月の戦争勃発と同時にスパイ容疑で検挙され、半年後に釈放された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上秀天」の解説

井上秀天 いのうえ-しゅうてん

1880-1945 明治-昭和時代前期の東洋思想研究家。
明治13年3月21日生まれ。哲学館(現東洋大)でまなび,セイロン(スリランカ)のコロンボ大などで原始仏教を研究。神戸にすみ,雑誌に非戦論,社会批判を発表し,また「無門関の新研究」「漢英考証老子の新研究」などの東洋思想に関する著作をおおくあらわした。昭和20年3月17日死去。66歳。鳥取県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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