日本歴史地名大系 「井谷村」の解説 井谷村いだにむら 和歌山県:有田郡清水町井谷村[現在地名]清水町井谷有田川の上流、室川谷(むろかわたに)川の合流点付近の山間部に位置し、西は久野原(くのはら)村、南は上湯川(かみゆかわ)村。「続風土記」に「村居散在して寒村なり」「久野原村の堰水の源此村に出るにより堰谷の義なりといふ、又往還に井ありて冷水湧出つ、村名此より起るともいふ」とある。中世には阿河(あてがわ)上庄に属し、文永四年(一二六七)五月一〇日の阿河上庄在家綿注文案(又続宝簡集)に「井タニ綿六両」、同九年八月一三日の阿河庄上村逃亡跡注進状(同集)に「綿六両ゐたに田一反十歩」などとみえる。 井谷村いだにむら 福島県:耶麻郡西会津町井谷村[現在地名]西会津町新郷(しんごう)三河(みかわ)八重窪(やえくぼ)村の北方山間に位置し、本村の北一四町余の山中には小名馬場野(ばばの)がある。耶麻郡大谷組に属した。村の南を阿賀川支流井谷川が西流する。西は橋立(はしたて)村、東は中山(なかやま)村・赤岩(あかいわ)村(現高郷村)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には「飯谷」とあり、高一〇一石余。「会津風土記」に村名がみえる。 井谷村いのたにむら 京都府:竹野郡丹後町井谷村[現在地名]丹後町井谷(いたに)遠下(おんげ)村の東、宇(う)川右岸に位置し、西・南に山を負い、北方にわずかに耕地が開ける。中世宇川保の地。近世初期も宇川村の内であったが、寛文九年(一六六九)分離・高付され、延宝三年郷村帳に高三六・三七六石「宇川庄井ノ谷」と出る。 井谷村いだにむら 岐阜県:益田郡馬瀬村井谷村[現在地名]馬瀬村井谷惣島(そうじま)村の北にある。元禄飛騨国検地反歩帳に村名がみえ、高三八石余、うち田一町八反余・畑三町八反余。「飛騨国中案内」によれば免三割四分一厘、家数一〇、うち百姓九・門屋一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by