人権新説(読み)じんけんしんせつ

山川 日本史小辞典 改訂新版 「人権新説」の解説

人権新説
じんけんしんせつ

明治前期の国家主義的な政治理論書。加藤弘之(ひろゆき)著。1882年(明治15)10月刊。81年にみずからの「真政大意」「国体新論」を絶版にしたあとをうけて,天賦人権説を妄想批判した。人民権利は国家が設けたものとみなし,権利の進歩文明の度合に応じて漸進的であるべきだとして,急進的民権派を批判。民権派は強く反発し,馬場辰猪(たつい)・植木枝盛(えもり)らが反論した。「明治文化全集」「明治文学全集」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「人権新説」の解説

人権新説
じんけんしんせつ

明治前期,加藤弘之の啓蒙書
1882年刊。著者は『真政大意』('70)『国体新論』('74)では天賦人権論を主張していたが,本書では進化論立場で天賦人権論を批判し,真正の権利はすぐれた知識精神力財産などに裏づけられなければならないと説いた。

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世界大百科事典(旧版)内の人権新説の言及

【加藤弘之】より

…《真政大意》(1870)を発表後,73年明六社同人となり,翌年民撰議院設立建白に際し,時期尚早論を展開したものの,《国体新論》(1875)を著すなど,このころまで天賦人権論に立脚した平等思想の啓蒙に努めた。だが,自由民権運動の進展に対応するかたちで,進化論の影響を受けて,その立場を回転させて人権思想の否認に傾斜し,82年《人権新説》を刊行して優勝劣敗の社会進化論へ〈転向〉し,《真政大意》《国体新論》をみずから絶版にした。以後,進化論に立脚して,反天賦人権説を唱え,民権論を攻撃した。…

【天賦人権論】より

…これにつれて,政府の側はこの観念を打破することに狂奔する。進化論的な論理によりつつ天賦人権の存在を否定した加藤の《人権新説》(1882)はこの線に沿った著作である。この後まもなく民権運動が解体すると,天賦人権の思想も急速に消滅していく。…

※「人権新説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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