コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

天賦人権論 テンプジンケンロン

デジタル大辞泉の解説

てんぷじんけん‐ろん【天賦人権論】

人間は生まれながらにして自由・平等であり、幸福を追求する権利があるという思想。ルソーミルをはじめとするフランスイギリス啓蒙思想家あるいは自然法学者らによって主張された。明治維新後、日本に紹介され、明治前期の自由民権運動の理論的支柱となった。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

天賦人権論【てんぷじんけんろん】

あらゆる人間には天から授かった生得の権利があるという理論。ヨーロッパの自然権理論に基礎を置き,儒教的天道の観念媒介として形成されたもの。明治初期に加藤弘之福沢諭吉植木枝盛中江兆民馬場辰猪らによって唱道され,自由民権運動のイデオロギーとなった。
→関連項目民撰議院設立建白民法典論争

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

てんぷじんけんろん【天賦人権論】

すべての人間は権力も奪うことができぬ一定の権利をア・プリオリに賦与されているという,明治前期に展開された思想。原始儒教的な宇宙万物の主宰としての天の観念,あるいは人間にはア・プリオリに道徳性が賦与されているという儒教的な観念などを媒介として,近代西欧の自然権natural rightsの観念が導入されたところに成立した。天賦人権の思想は,明治初年に福沢諭吉や加藤弘之ら啓蒙思想家によって,対外的独立を達成するために,封建的身分制を打破して人民全体を国家の主体的担い手に高めるという意図と結びついて主張されはじめた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天賦人権論
てんぷじんけんろん

17、18世紀の近代国家成立時に民主主義政治原理として欧米において唱えられた自然権natural right思想の訳語。社会契約説に儒教の自然や天の理念を結び付けて構成した日本版人権・国家思想。福沢諭吉(ゆきち)や加藤弘之(ひろゆき)は、この語を用いて封建的身分制の打破を叫び、明治政府は自由・平等な人民の同意によって設立された政権であるとしてその正当性を弁証した。しかし、明治政府の実態が藩閥政府であることが明らかとなり、国会開設や参政権の獲得を求める自由民権運動が高揚するなかで、加藤は天賦人権論の否定者となった。こうした加藤の転向は、彼自身が明治政府に仕えたことにもよるが、それよりも彼の天賦人権論理解の弱さにその原因を求めることができる。そもそも欧米の社会契約説においては、個人の権利・自由をよりよく保障するためには人民の政治参加が不可欠であると考えられ、そのことが議会政治の発達を促した。これに対し、加藤は、日本のような文明の遅れた国では選挙権の賦与は時期尚早であると主張し、国会開設に批判的態度をとった。そして『人権新説』(1882)では、生存競争、適者生存、自然淘汰(とうた)という進化論を用いて、人間は生来不平等に生まれついていること、したがって自由・平等な人間が契約によって政府を設立したという社会契約説は妄想であるとして、天賦人権論そのものを否定してしまった。これをめぐって加藤と植木枝盛(えもり)、馬場辰猪(たつい)、矢野文雄、外山正一(とやままさかず)らとの間でいわゆる「人権新説論争」が展開された。その後プロイセン憲法に範をとった大日本帝国憲法が制定され、儒教道徳に基づく封建的な忠孝思想がふたたび隆盛となるなかで、天賦人権思想は国家主義思想の前に大きく後退してしまった。[田中 浩]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

天賦人権論の関連キーワードバージニア権利章典天賦人権論[日本]学問ノススメア・プリオリ馬場 辰猪畢竟するに愛国公党民権論小野梓漠漠転向政論寥寥撫育抑遏駁撃搏噬羨慕尊奉謬妄

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

天賦人権論の関連情報