馬場辰猪(読み)ババタツイ

デジタル大辞泉 「馬場辰猪」の意味・読み・例文・類語

ばば‐たつい〔‐たつゐ〕【馬場辰猪】

[1850~1888]思想家政治家高知の生まれ。孤蝶の兄。慶応義塾に学び、英国留学。帰国後、自由民権思想紹介普及尽力。米国フィラデルフィア客死。著「天賦人権論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「馬場辰猪」の意味・読み・例文・類語

ばば‐たつい【馬場辰猪】

  1. 思想家、政治家。高知県出身。自由民権思想の普及につとめ、自由党結成に参加。自由新聞などで活躍。のち、板垣退助と対立して脱党。渡米して日本の紹介に努めた。嘉永三~明治二一年(一八五〇‐八八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬場辰猪」の意味・わかりやすい解説

馬場辰猪
ばばたつい
(1850―1888)

明治時代啓蒙(けいもう)思想家、自由民権運動家。嘉永(かえい)3年5月15日土佐藩士族馬場来八(らいはち)の二男として高知城下中島町に生まれる。維新期慶応義塾で英学を学び、1870年(明治3)より78年まで、二度約8年間英国に留学、法学を修めた。留学中小野梓(おのあずさ)らと日本学生会を組織(1873)する一方、『日本における英国人』、『日英条約論』(『日英条約改正論』『条約改正論』とも訳されている。原題“The Treaty between Japan and England”)などを英文で著し、条約改正の必要を訴えた。帰国後は共存同衆会員、交詢(こうじゅん)社常議員になったほか、国友会・明治義塾を創設するなど啓蒙活動を精力的に展開。81年には自由党結成大会に参画、常議員、『自由新聞』記者となり、また『朝野新聞』客員(1882)ともなって活躍した。82年板垣退助の洋行に反対したため自由新聞社を除名され、83年自由党を離脱したが、同年1月には『天賦人権論』を著して加藤弘之(ひろゆき)の「人権新説」を批判、一貫して民権思想の鼓吹と民権派の大同団結のため尽力した。85年11月爆発物取締規則違反容疑で捕縛されたが、翌年6月無罪釈放後渡米し、以後アメリカで専制政府を批判する旺盛(おうせい)な言論活動を行った。明治21年11月1日フィラデルフィア市で客死。墓は東京・都営谷中(やなか)墓地とフィラデルフィア市ウッドランド・セメタリーにある。

[安在邦夫]

『『馬場辰猪全集』全4巻(1987~88・岩波書店)』『萩原延寿著『馬場辰猪』(1967・中央公論社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「馬場辰猪」の意味・わかりやすい解説

馬場辰猪 (ばばたつい)
生没年:1850-88(嘉永3-明治21)

明治期の自由民権家,思想家。土佐藩士の家に生まれ,江戸に藩費留学をし,福沢諭吉のもとで学ぶ。1870年(明治3)藩命によりイギリスに留学。78年まで(途中一時帰国)法学などを学んだ。滞英中,小野梓らと日本学生会を組織。帰国後,小野らが結成した文化啓蒙団体〈共存同衆〉に参加して多数の講演を行い,これを《共存雑誌》に発表した。81年大石正巳,末広重恭らと国友会を組織して長野,山形,新潟などに遊説し,10月の自由党結成に参加,常議員となった。《自由新聞》の主筆をつとめたが,党首板垣退助の洋行に反対して自由新聞社を追われ,83年脱党。大石,末広らと独立党を結成した。同年《天賦人権論》を刊行して加藤弘之の《人権新説》を批判。85年爆発物取締罰則違反で逮捕され,翌年無罪放免後,渡米。アメリカ各地で講演を行い,またアメリカ紙に〈日本監獄論〉〈日本人〉などを発表して,日本の藩閥政府を批判した。フィラデルフィアで死去。たんのうな英語を駆使して日本を国際社会に認知させることをめざすとともに,留学で体得した近代思想を日本社会の変革にささげた。《馬場辰猪自叙伝》がある。
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百科事典マイペディア 「馬場辰猪」の意味・わかりやすい解説

馬場辰猪【ばばたつい】

自由民権運動の思想家。土佐(とさ)高知藩出身。慶応義塾に学び1870年藩命で英国に留学,法学などを学び,小野梓らと交わる。帰国後,小野らが結成した共存同衆(きょうそんどうしゅう)に加わり,啓蒙運動に活躍,1881年自由党結成に参加,自由民権思想の啓蒙に努め,同時に法学教育に尽力。《自由新聞》主筆を務めたが,板垣退助の洋行を批判して1883年脱党。1886年渡米し,アメリカ紙で日本の藩閥政府を批判した。フィラデルフィアで客死。著書《天賦人権論》。馬場孤蝶の兄。
→関連項目私擬憲法天賦人権論

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「馬場辰猪」の解説

馬場 辰猪
ババ タツイ


生年月日
嘉永3年5月15日(1850年)

出生地
土佐国(高知県)

学歴
慶応義塾

経歴
慶応義塾で経済学を専攻。明治3年と8年と2回に渡って渡英し、法律研究のかたわら英文で「日本語文典」「日英条約改正論」などを刊行。11年帰国し、小野梓の共存同衆会、14年国友会に所属して自由民権運動に参加し、14年自由党に入党。「朝野新聞」「自由新聞」紙上で論陣を張った。15年「天賦人権論」を刊行し、加藤弘之の“人権新説”を批判。この間訴訟鑑定所を開いて法律実務に従事し、明治義塾で教鞭を執る。のち板垣退助と対立し政界から離れ、19年渡米。新聞に「日本人監獄論」などを執筆して藩閥政府批判を続けたが、フィラデルフィアで客死した。著書に「馬場辰猪全集」(全4巻)など。

没年月日
明治21年11月1日

家族
弟=馬場 孤蝶(評論家)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬場辰猪」の意味・わかりやすい解説

馬場辰猪
ばばたつい

[生]嘉永3(1850).5.15. 高知
[没]1888.11.1. フィラデルフィア
自由民権運動に活躍した政治家,理論家,思想家。馬場孤蝶の兄。土佐藩士馬場来八の次男に生れた。福沢諭吉に学び (1866~70) ,さらにイギリスに留学 (70~78) して幾何,地理,歴史,法律を修めた。帰国後国友会を組織,また自由党に入党して活動し,のち『国友雑誌』『朝野新聞』に論説を掲載して自由民権思想を鼓吹した。 1886年横浜での爆裂弾事件に巻込まれ,爆発物取締罰則違反の容疑で半年間拘留された。無罪放免直後の同年6月アメリカへ渡り,肺結核のため客死。主著『日本語文典初歩』 An Elementary Grammar of the Japanese Language (73) ,『日本における英国人』 The English in Japan (75) ,『日英条約改正論』 The Treaty between Japan and England (76) ,『天賦人権論』 (83) 。

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朝日日本歴史人物事典 「馬場辰猪」の解説

馬場辰猪

没年:明治21.11.1(1888)
生年:嘉永3.5.15(1850.6.24)
明治期の自由民権家。土佐藩(高知県)藩士の馬場来八,虎の次男。慶応義塾に学び,のちイギリスに2回留学,英国法を修めた。帰国後,共存同衆会,国友会などに所属し,自由主義思想の啓蒙につとめ,明治14(1881)年自由党創立とともに常議員に選ばれ,同党の理論的支柱として活躍した。しかし15年板垣自由党総理の外遊に反対し常議員を辞任,16年9月自由党を脱党した。18年11月爆発物取締罰則違反容疑で逮捕されたが,19年6月無罪放免となり,まもなくアメリカに渡った。全米各地で日本の実態を紹介する講演や明治政府の専制ぶりを批判する論説を発表するなど精力的な活動を続けたが,21年夏以降体調をくずしペンシルベニア大学病院に入院,満38歳で客死した。遺著『日本政治の状態』の表紙にみえる「頼むところは天下の輿論,めざす仇は暴虐政府」の言葉は,彼の執念を示すものとして有名。<著作>『馬場辰猪全集』全4巻<参考文献>安永梧郎『馬場辰猪』,西田長寿「馬場辰猪」(明治史料研究連絡会編『民権論からナショナリズムへ』),萩原延寿『馬場辰猪』

(寺崎修)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬場辰猪」の解説

馬場辰猪 ばば-たつい

1850-1888 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)3年5月15日生まれ。馬場孤蝶(こちょう)の兄。慶応義塾にまなび,イギリスに2回留学。明治14年自由党結成にくわわり機関紙「自由新聞」の主筆となるが,党首板垣退助の洋行問題により16年脱党する。「天賦人権論」をあらわし加藤弘之(ひろゆき)の国権思想を批判。19年渡米し,21年11月1日客死した。39歳。土佐(高知県)出身。
【格言など】信用とは未だ確証を得ざる者に向て推測を為すものなり(「信用ノ説」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「馬場辰猪」の解説

馬場辰猪
ばばたつい

1850.5.15~88.11.1

明治前期の自由民権家。高知藩士出身。藩校文武館や慶応義塾に学び,1870年(明治3)藩命でイギリス留学。74年帰国,翌年から77年まで再度イギリス留学。帰国後,共存同衆で民権論を主張。81年国友会を結成し,自由党に参加して常議員。82年「自由新聞」主筆となるが,板垣退助の洋行に反対し免職となる。83年自由党を脱党。86年渡米し日本紹介活動を行った。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「馬場辰猪」の解説

馬場辰猪
ばばたつい

1850〜88
明治前期の思想家
土佐藩出身。慶応義塾に学び,イギリスに2度留学。帰国後,1881年自由党結成に参加。主著『天賦人権論』をはじめ,『自由新聞』などにより民権思想の紹介・普及に努力した。板垣退助の洋行に反対し,'83年脱党。のち渡米し,フィラデルフィアで客死した。

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367日誕生日大事典 「馬場辰猪」の解説

馬場 辰猪 (ばば たつい)

生年月日:1850年5月15日
明治時代の政治家;民権論者
1888年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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