今村恵猛(読み)イマムラ エミョウ

20世紀日本人名事典 「今村恵猛」の解説

今村 恵猛
イマムラ エミョウ

明治・大正期の僧侶 真宗本願寺派開教師。



生年
慶応3年5月27日(1867年)

没年
昭和7(1932)年12月23日

出生地
福井県

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治26年〕卒

経歴
中学教師を経て、明治32年西本願寺ハワイ布教監督の里見法爾に招かれ、開教師としてハワイ渡航。33年里見に代わり監督(のち開教総長)となり、仏教青年会、婦人会などを設置、寺、学校も開設、非日系人対象には英語伝導を進め、ハワイに本願寺王国を築いた。昭和5年にはホノルル汎太平洋仏教青年会を主催した。著書に「本派本願寺布哇開教史」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今村恵猛」の意味・わかりやすい解説

今村恵猛
いまむらえみょう
(1866―1932)

明治・大正時代浄土真宗本願寺派の僧。福井県足羽(あすわ)郡東郷(とうごう)村(福井市)の専徳寺に生まれる。10歳で得度し、京都西本願寺普通教校、慶応義塾文科に学ぶ。1899年(明治32)ハワイ開教使に招かれ、翌1900年監督となる。1899年12月のペスト流行には救済団体「共愛会」をつくり、在留邦人のために尽くした。以後、同地で英語による伝道に努め、また日本語学校、仏教青年会、ハワイ日本文庫の設立育成などに生涯を尽くした。昭和7年12月22日示寂。

[金田諦応 2017年5月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今村恵猛」の解説

今村恵猛 いまむら-えみょう

1866-1932 明治-昭和時代前期の僧。
慶応2年5月27日生まれ。明治32年浄土真宗本願寺派の開教使に任命されハワイにわたる。翌年監督,明治39年ハワイ別院の初代輪番となる。小・中学校,仏教青年会などをつくったほか,英語による布教もすすめた。昭和7年12月22日死去。67歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。慶応義塾卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今村恵猛」の意味・わかりやすい解説

今村恵猛
いまむらえみょう

[生]慶応4(1868).5.17.
[没]1932.12.23.
浄土真宗本願寺派のハワイ開教総長。 1900年ハワイに着任してから,逝去まで 33年間ハワイの開教に従事して,ハワイにおける仏教の基礎確立

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367日誕生日大事典 「今村恵猛」の解説

今村 恵猛 (いまむら えみょう)

生年月日:1867年5月27日
明治時代;大正時代の宗教家
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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