今村恵猛(読み)いまむらえみょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今村恵猛」の意味・わかりやすい解説

今村恵猛
いまむらえみょう
(1866―1932)

明治・大正時代の浄土真宗本願寺派の僧。福井県足羽(あすわ)郡東郷(とうごう)村(福井市)の専徳寺に生まれる。10歳で得度し、京都西本願寺普通教校、慶応義塾文科に学ぶ。1899年(明治32)ハワイ開教使に招かれ、翌1900年監督となる。1899年12月のペスト流行には救済団体「共愛会」をつくり、在留邦人のために尽くした。以後、同地で英語による伝道に努め、また日本語学校、仏教青年会、ハワイ日本文庫の設立育成などに生涯を尽くした。昭和7年12月22日示寂。

[金田諦応 2017年5月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今村恵猛」の解説

今村恵猛 いまむら-えみょう

1866-1932 明治-昭和時代前期の僧。
慶応2年5月27日生まれ。明治32年浄土真宗本願寺派の開教使に任命されハワイにわたる。翌年監督,明治39年ハワイ別院の初代輪番となる。小・中学校,仏教青年会などをつくったほか,英語による布教もすすめた。昭和7年12月22日死去。67歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今村恵猛」の意味・わかりやすい解説

今村恵猛
いまむらえみょう

[生]慶応4(1868).5.17.
[没]1932.12.23.
浄土真宗本願寺派のハワイ開教総長。 1900年ハワイに着任してから,逝去まで 33年間ハワイの開教に従事して,ハワイにおける仏教の基礎確立

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android