伊勢島宮内(読み)いせじま くない

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢島宮内」の解説

伊勢島宮内(初代) いせじま-くない

?-1657ごろ 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
虎屋源太夫門人。江戸で活躍後,寛永末に京都にいき操(あやつり)座をおこし山城左内らときそったという。語りは伊勢島節といわれ,代表曲に「佐々木問答」がある。明暦3年ごろ死去。名代(なだい)(興行権名義)は宇治加賀掾(かがのじょう)がついだ。伊勢(三重県)出身

伊勢島宮内(2代) いせじま-くない

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
初代伊勢島宮内の子。初代の跡をついで興行したとつたえられる。寛文3年(1663)刊行の新宮内正本「しゆてんどうじ」の新宮内が2代その人とされる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊勢島宮内の言及

【浄瑠璃】より

…42年には山城出身の左内が若狭守藤原吉次を受領した(語り物に《ともなか》ほか)。浄雲系で伊勢出身の宮内(伊勢島宮内)が寛永末に上京し,四条河原で興行する(語り物に《石橋山七きおち》ほか)。競っていた左内,宮内が没した後に,すでに江戸から上京していた虎屋喜太夫が台頭し硬派の浄瑠璃を語り,58年(万治1)に上総少掾を受領,天下一上総と称した。…

※「伊勢島宮内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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