朝日日本歴史人物事典 「伊勢島宮内」の解説
伊勢島宮内
江戸前期の古浄瑠璃の太夫。別名江戸宮内。伊勢島節の元祖。虎屋源太夫の門弟というが確かでない。芸名の初見が寛永12(1635)年の伊勢興行であることから,出自は伊勢,説経語り説がある。江戸でも活躍し,京入りしたのは「一の谷逆落」上梓の寛永末年と思われ,四条河原で山城左内(若狭守吉次)と芸を競い合う。現存の正本5種の全てに「江戸」と銘打つなど,京の左内と対抗し並び称された。大坂にも下り活動は広範囲におよぶ。左内と共に「河原ぶし」と座頭よりも卑められたというが,そこにこそ下層で発達した近世芸能としての浄瑠璃節の面目が躍如としている。延宝3(1675)年宇治嘉太夫(加賀掾)はこの名代(興行権の名義)を用いた。<参考文献>阪口弘之「街道の浄瑠璃―左内と宮内―」(『人文研究』29巻1分冊)
(安田富貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報