改訂新版 世界大百科事典 「伊秉綬」の意味・わかりやすい解説
伊秉綬 (いへいじゅ)
Yī Bǐng shòu
生没年:1754-1815
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国清(しん)時代中期の書家。福建省寧化の人。光禄寺卿(こうろくじけい)に至った朝棟の子。字(あざな)は組似、号は墨卿、南泉。1789年(乾隆54)進士に合格、刑部主事を授けられ、員外郎に移り、98年(嘉慶3)湖南省の郷試副考官、のち広東恵州や揚州の知府を歴任した。家学を受け、若年より宋(そう)学者、道学者として身を持し、公私の生活はもとより文学芸術に至るまで、その精神を貫いた。書は劉墉(りゅうよう)の弟子で隷(れい)行草に長じたが、もっとも漢隷をよくし、波勢のない、直線的に四角く構成する隷法を創始した。スケールの大きさ、その特異な超逸の風格が世にうたわれている。『留春草堂集』の著がある。
[角井 博]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報