伊藤清永(読み)イトウ キヨナガ

20世紀日本人名事典 「伊藤清永」の解説

伊藤 清永
イトウ キヨナガ

昭和・平成期の洋画家 白日会会長;日展顧問。



生年
明治44(1911)年2月24日

没年
平成13(2001)年6月5日

出生地
兵庫県出石郡出石町下谷

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
日展総理大臣賞〔昭和51年〕「曙光」,日本芸術院賞恩賜賞〔昭和52年〕「曙光」,紺綬褒章〔昭和54年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕,兵庫県文化賞〔平成1年〕,出石町名誉町民〔平成1年〕,文化功労者〔平成3年〕,文化勲章〔平成8年〕

経歴
禅寺の生まれ。昭和3年画家を志して上京。本郷絵画研究所で学び、4年東京美術学校に入学。岡田三郎助薫陶を受けた。在学中から帝展、白日会に入賞。11年に白日会会員となり、復員後の22、23年連続して日展特選。51年「曙光」で日展内閣総理大臣賞、52年日本芸術院恩賜賞を受賞。32〜58年愛知学院大学教授を務め、59年同大講堂の「釈尊伝四部作大壁画」を完成させた。61年白日会会長。日展常務理事、のち顧問を務めた。一貫して裸婦人物の制作を続け、鮮やかな色彩で独自の絵画美の世界を確立した。平成3年文化功労者、8年文化勲章を受章。他の代表作に「朝の路次」「I夫人像」「北欧の裸婦」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤清永」の意味・わかりやすい解説

伊藤清永
いとうきよなが
(1911―2001)

洋画家。兵庫県生まれ。1935年(昭和10)東京美術学校(現東京芸術大学)油絵科卒業。岡田三郎助の薫陶を受け、在学中に白日賞を受賞。一貫して豊満な裸婦像を描き、独自の華麗で温かみのある女性美の世界を確立した。愛知学院大学教授を長年務め、後進の指導にもあたった。代表作の『曙光』で76年日展内閣総理大臣賞、77年日本芸術院恩賜賞を受賞。79年紺綬褒章、84年勲四等旭日小綬章を受章、芸術院会員。91年(平成3)文化功労者、96年文化勲章を受章。

[編集部]

『『伊藤清永作品集』(1991・ビジョン企画出版社)』『『伊藤清永画集』(1989・六芸書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊藤清永」の意味・わかりやすい解説

伊藤清永
いとうきよなが

[生]1911.2.24. 兵庫
[没]2001.6.5.
洋画家。 1928年上京して岡田三郎助師事。 1935年東京美術学校 (現・東京芸術大学) 油画科卒業。 1933年白日会展で白日会賞受賞。 1947年と 1948年に『I夫人像』『室内』で日展に連続特選。 1976年『曙光』で日展内閣総理大臣賞ならびに芸術院賞恩賜賞を受賞。ルノアール風の筆致に日本的な感性を加味した豊かな色彩と感覚で,一貫して女性の裸体美を追求した。 1991年文化功労者。 1996年文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤清永」の解説

伊藤清永 いとう-きよなが

1911-2001 昭和-平成時代の洋画家。
明治44年2月24日生まれ。昭和8年白日会会員。22,23年日展で連続特選,51年内閣総理大臣賞。52年芸術院恩賜賞。53年日展理事。59年芸術院会員。愛知学院大教授。一貫して女性美を追求し,裸婦を連作する。平成8年文化勲章。平成13年6月5日死去。90歳。兵庫県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「曙光」「椅子に臥る裸婦」など。

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